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2012年1月31日 (火)

■よくわかる・・・方言で読む福音書『ガリラヤのイェシュー』

『ケセン語聖書』でおなじみの山浦玄嗣先生が、東日本大震災で被災し、その後出版されたのが4福音書を日本各地の方言で書かれた『ガリラヤのイェシュー』です。

山浦先生は、ギリシャ語を学び、ギリシャ語原典からの翻訳、それも故郷の言葉である「ケセPhoto_2ン語」に訳すという働きを、医師という本業の傍らで長い時間とエネルギーを注いでなさってこられました。すでに出版されている分厚いケセン語聖書は大きな反響を呼びました。方言で読むと、イエスの心のレベルが伝わってきて、よく理解できるのですから不思議ですよね。

しかし、昨年の地震で、ケセン語聖書を出版した「イー・ピックス出版」の倉庫に残っていた聖書は津波にのまれました。幸い、サックに入っていたのと、積み重ねられていた本は流されることなく残りました。倉庫の様子は、NHKの番組をご覧になった方もいらっしゃるかと思います。これらの聖書は『お水潜(みずくぐ)りの聖書』として、その後、たくさん普及されたそうです。

『「お水潜りの聖書』に引き続いて、山浦先生は、昨年10月にこの『ガリラヤのイェシュー』を出版されました。この聖書はケセン語、仙台弁、盛岡弁、津軽弁、鶴岡弁などの東北弁だけでなく、なんと、関東やくざ言葉、名古屋弁、大阪弁、山口弁、長崎弁、鹿児島弁、そして「幕末期の日本語風」な公用語で訳されているのです。

「ええ、どういうこと?」って思われるでしょ。登場人物の出身地によって、これらの方言が割り当てられています。たとえば、イエスと弟子たちガリラヤの人々はケセン語で話します。ガリラヤの北にあるフィリッポ・カイザリアの人々は仙台弁、ギリシャ人は長崎弁、ローマ人は鹿児島弁、イエスとともに十字架に付けられる死刑囚は関東やくざ言葉・・・、とこんな具合です。

不思議なことに、この方言で書かれている福音を読んでいくと、山浦先生の付け足しの言葉も加わって、まるで舞台劇を見ているように、どんどん読めてしまうのです。そして、イエスの心のやさしさを感じるのです。方言での語りは、心のレベルでのつきあいになるのでしょうか?

もう一つ、いいな~と思うののは、山浦先生の訳し方です。たとえば「神の国」これを「神さまのお取りしきり」と訳しています。また、宣教に派遣された弟子たちが家々を回っていくときに言うあいさつの言葉「この家に平和があるように」(ルカ10.5)は、「神さまの恵みに安らぐ静かな心がこの家の人たちにありますように」となります。なかなかいいですよね。

病を治してもらった女にイエスが言った「あなたの信仰があなたを救った」(マルコ5.34)は、「この俺を頼りにしてけでるその心が お前さんをあの病がら助け出したのぞ」となります。

このような言葉の発見がいろいろとあり、聖書の中の出来事が、生活レベルになったように感じました。山浦先生の働きに感謝です。その日の福音の箇所がどのように表現されているのか、毎日楽しみです。

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2012年1月28日 (土)

■ クリスマス・ローズ

001_2 姉妹から、この寒さにも負けずに庭にクリスマス・ローズが咲いていると聞き、さっそくカメラ片手に見に行きました。
すると、白い花をいくつもつけていました。
クリスマス・ローズは花が下を向いて咲いているので、地を這うようにしながら、一番大きな花を写真に納めました。
クリスマス・ローズは庭植えに適しているそうですが、暑さに弱いので夏には休眠し、寒くなると元気に葉を伸ばし花を咲かせさびしくなった冬の庭を飾って、わたしたちの心を和ませてくれます。
わたしたちも、苦しむ人、悲しむ人の心を和ませるような者になりたいものです。

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2012年1月24日 (火)

■ 久しぶりの積雪

久しぶりの積雪になりました。しかし、夜中に降っているときから、下の方では、溶け始めていたので、今朝は、その雪が凍ってしまって、ガリガリです。

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修道院の庭も、ルルドも、久しぶりの積雪ですが、これも太陽の光ですぐ溶けていってしまうことでしょう。

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固くなってしまった雪に覆い被されて、クリスマスローズが倒れていました。その太い茎で、立ち直ってね。

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昨日までの元気な姿

美しい青空と、輝く朝日で、すがすがしい気持ちの一日のはじまりです。
今日一日、よい日でありますように。

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2012年1月19日 (木)

■ 梅の花が咲きました

今年も門の横にある紅梅が、一番に咲きました。
いつもの年より、今年は少し遅いようですが、つぼみが膨らみやわらかな花びらが今にもほころびそうです。
「今年も忘れずに咲いてくれて、ありがとう!」
なぜか、そんなことばが心から沸いてきました。
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2012年1月16日 (月)

■ 脱原発世界会議 2012YOKOHAMA

Photo_21月14日(土)、15日(日)に、パシフィコ横浜で開催された「脱原発世界会議」に参加しました。15日の東京新聞では、朝刊一面のトップと他の2面に記事が掲載され、大きな意味を持って伝えていました。

参加したのは、2日目の15日でした。大小14のホールや部屋で、10:00から18:00すぎまで、いろいろな企画が準備されています。メインホールと3Fホールでのセッションは整理券が必要です。開場とともに受付を済ませると、整理券を得るためにダッシュ! 列に並んで希望のセッションの整理券を得ることができました。

ホールに入って席を確保し、ほっとしてパンフレットを見て驚きました。日本カトリック司教団が昨年8月に発表した「いますぐ原発の廃止を」というメッセージのプリントが入っていたのです。「すごい!」 14日のトークイベントには、横浜教区の梅村司教が司教団のメッセージについて話されたそうです。

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パシフィコ横浜                           受付

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メインホール                            3Fホール

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セッションが終わりホールから出てきた人々            ブースエリア

いろいろな視点、いろいろな立場から「脱原発」を見ていきました。“スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマ”と言われるほど、福島第1原発の事故は大きなものでした。原発事故によって避難を強いられている人々は生活の基盤を欠き、先の見えない不安定な日々を送っています。

単に原発反対を叫ぶのではなく、電気がなくては生きていけない生活に浸っているわたしたちは、今の便利さを見直す必要があります。福島の市民活動、南相馬の子どもたち、原子力とは、放射能とは、原発は止められるのか、世界で唯一の原子爆弾投下を受けた日本がなぜ原発立国になっているのか、再処理利用とは、これからどのようなエネルギーにシフトしていくのか、20年後の子どもたちの生活と教育は、日本のメディアの報道は、市民が積極的にエネルギー政策に関わってきたスウェーデンに学ぶ、新しいライフスタイルは、世界の専門家に聞こう……など、主催者の企画、国内外からの持ち込み企画によって提供されました。

登壇者は、国内外からNPOのリーダ、市民活動家、政治家、作家、音楽家、知事、ジャーナリスト、大学教授、弁護士など、海外から40人ほど、国内から53人が参加されました。国は、韓国、中国、台湾、タイ、インド、モンゴル、ヨルダン、南アフリカ、スウェーデン、オランダ、スイス、デンマーク、ドイツ、オーストラリア、フランス、米国、カナダ、ロシアと世界各国に及びました。また会場のいたるとこにブースが設けられ、60ほどの団体が自分たちの活動を紹介していました。

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感想を貼った「いろんな木掲示板」             キッズコーナー

90分のセッションは焦点を絞った内容で、分かりやすいものでした。今回の会議のキーワードは「相互交流」です。セッションの始まりには、となりの席の人と1分ずつの交流が持たれました。自分の名前と、前に参加したセッションの内容や、好きな風景などを分かち合うという方法で、互いを知り合いました。「共有することで、新しいアイディアやコラボレーションが生まれる楽しさを味わう」ことが目的です。どの会場でも、隣の人と分かち合いました。「原発も核兵器もない世界へ」のセッションでは、茨城から来た中年の男性と分かち合いました。自分が住んでいる地域が、どういう状況の中にいるのか知りたいと思って参加したのだそうです。「2030年の市民社会」のセッションでは、横浜から来たオシャレな男子学生でした。これから生きていく中で、原発をどう考えたらいいのか、自分で考えることができるように学びに来たそうです。

主催者の発表によれば、14日の参加者は6,000人、15日は5,500名だったそうです。さらに会議の内容は、インターネットスで世界に中継され、約10万人が視聴したそうです。セッションやイベントの司会者、登壇者、また会場のさまざまな場でお世話してくれたボランティアの方々など、たくさんの人々の力によって会議は運営され、その準備力に驚きました。みなさん、ありがとう!

脱原発を求めるとき、まず自分の生活を見直さなくてはいけません。どこに価値を置き、どのように生きていくのか……。原発を考えることは、自分の生き方を考えることでもあり、日本は今、大きな転換期を迎えています。

脱原発世界会議 http://npfree.jp/

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2012年1月13日 (金)

■ 光の祈り…復興の灯り“南三陸町ホタテキャンドル”

“南三陸町ホタテキャンドル”をご存じでしょうか?Hotate2

昨年、12月に入ってすぐ、米川ベースにボランティアで行っていた知り合いの女性が、日曜日に開かれていた復興市で、手作りのホタテのキャンドルを見つけたそうです。それは、南三陸町の浜の女性たちが作ったもので、1個1,000円で10個単位で発送してくれるので、女子パウロ会のお店で、被災地協力のために販売してはどうですかと呼びかけられました。

クリスマス時期でもあるので、ローソクは求められるのではないかと思い、被災地と思いをつなげるために、聖イグナチオ教会案内所で50個ほど注文しました。ローソクはすぐ求められたそうです。

南三陸ではホタテの養殖がさかんでしたが、津波で流されてしまいました。その中で残ったホタテの殻をきれいに洗って蝋を流し、さらに、魚や木の形をした蝋をトッピングして飾ったキャンドルです。いろいろなテーマでデザインがあり、その時期のものとしてクリスマスツリーのデザインがありました。ホタテの殻は15cmほどの立派なものです。

Hotate1修道院のために求めたものを、今、晩の祈りのときに使っています。深い青の色は、南三陸の海の色でしょう。この太いローソクの芯がどのように燃えていくのか、ちょっと楽しみでした。今、少しずつ蝋が溶けて、貝殻の部分が見えてきました。穏やかになった海が、以前のように海の幸を、南三陸の人々に届けてくれますようにと願いながら、被災地のための祈りを毎晩唱えています。

復興の灯り“南三陸町ホタテキャンドル”のサイトを見ると、「合格祈願キャンドル」「希望のベル」と、新しいデザインが紹介されていました。海の女性たちが、アイデアを出し合い、一つひとつ、心を込めて作っているキャンドル。その手作り感を味わいながら、被災地への思いを馳せています。

復興の灯り“南三陸町ホタテキャンドル”
http://www.seepa.jp/u/hotatecandle/index.html

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2012年1月 9日 (月)

■ 晴佐久神父の説教サイト「福音の村」

今日は、SIGNIS JAPAN(カトリックメディア協議会)の会合があり、カトリック多摩教会に行ってきました。多摩教会の主任司祭である晴佐久昌英神父が、SIGNIS JAPANの顧問司祭なので、会場としてお借りしました。SIGNIS JAPANの会員18名が集まり、一日、会合を持ち充実した時を過ごしました。会合はミサで締めくくられましたが、メンバーの、昨年亡くなった家族を追悼しました。

そこで聞いたニュースです。以前、「福音の森」というタイトルで人気のあった晴佐久神父の説教サイトは、しばらくお休みしていたのですが、昨年の12月から「福音の村」というタイトルで、再び開始されたというのです。さらに、カトリック多摩教会のサイトも始まりました。

晴佐久神父の説教は、わかりやすく、心にしみ入り、癒やされ、多くの人に親しまれています。説教は単行本でも出されていますが、これからは、サイトで、最新の説教を読むことができます。ぜひ、お読みください。

晴佐久神父ミサ説教“福音の村” → http://www.fukuinnomura.com/

カトリック多摩教会 → http://catholictama.org/

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2012年1月 6日 (金)

■ そのころイエスは……

6日の福音はマルコ1.7~11で、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受ける場面でした。7~8で、ヨハネが自分の後に来られる方としてイエスを紹介し、彼は聖霊で洗礼を授ける方であると説明します。そして、ヨハネの前にイエスが登場します。こう書かれています。

そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。

「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て」の部分を読みながら、ふ~~~っと、ある場面が浮かびました。映画「ベン・ハー」の中の一場面です。夜のできごとだったのか、シルエットのような場面でした。マリアが家の中から「イエス!」と呼ぶのですが、イエスの返事はありません。マリアが家の外に出てみるとイエスの姿はありませんでした。そこでマリアは悟るのです。神が言っていたように、イエスが自分の元を離れ、使命を果たすときが来たのだと。

マルコ福音書の「そのころ」という言葉は、ヨハネが洗礼を授けていた「そのころ」という意味でしょうけれど、単にそれだけではなく、「そのころ」にはイエスが成長して公生活をはじめるときが来た「時」という意味もあるように感じました。歴史的意味のある大切な「そのころ」なのではないかと、ちょっと感慨を深めました。

イエスは故郷であるナザレを出てヨルダン川へやってきます。イエスはどのような思いで母の元を離れる決心をし、どのような思いでヨルダン川までの道を歩いたのでしょうか?

「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て」。日本語でたった16文字ですが、今日はこの箇所に心がひかれ、青年イエスに思いを馳せました。

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2012年1月 3日 (火)

■「仲間にタスキをつなぐために」感動の箱根駅伝

新年、明けましておめでとうございます。
2012年、はやくも三が日が過ぎてしまいました。みなさまは、どのようにお過ごしになったでしょうか?

昨日、今日と第88回箱根駅伝が行われました。修道院も三が日はお休みですので、駅伝好きなシスターたちは、テレビの前で声援を送りました。

この駅伝、毎年ドラマがありますが、今年の“マイドラマ”は東京農業大学の津野浩大選手でした。往路の5区、厳しい箱根路の上りを任された津野選手は、走る前から具合が悪かったそうです。しかしメンバー交代を申請する時間はすでに過ぎており……。監督が生命に関わるからやめるようにと言ったのですが、「走ります」と出場したそうです。走り始めたものの、解説者が「ジョギングのような速度です」というほど足元はゆっくりで、苦しそうに下を向いたり、脇腹を押さえたり、天を仰いだり……。あぶなっかしい足取りで、箱根の坂道に入りました「がんばれ! がんばれ!」と応援しました。

“山の神”と言われる東洋大学の柏原選手がゴールし、他の選手も次々にゴールのテープを切っていきました。往路優勝の授賞式も終わりましたが、テレビ放送の時間内に、津野選手はゴールできませんでした。後にインターネットのニュースで、津野選手はトップから40分遅れでゴールできたと知りました。

さらに感動したのは、観客のみなさんの優しさです。沿道では最後の選手が通り抜けるまで旗を振り、芦ノ湖のゴールでは、集まっていた人びとが最後まで帰ることなく、津野選手のゴールを、拍手を持って迎えたということでした。

駅伝を走る選手たちは、当日走る10人の選手だけでなく、この日のために準備をしていきた監督やコーチ、駅伝選手に選ばれなかった多くの部員たちの思いを背負っています。走る前から体調が思わしくなかった津野選手は大きなプレッシャーを感じていたと思います。意識がもうろうとしながらも走らせる、その気合いは、人間の業を超えているように思いました。

2日目の復路。最下位だった東京農業大学は、一斉スタートの組に入って走り出しました。昨日の遅れを取り戻そうとしてのか、または、体を張っての津野選手の思いをつなごうとしてか、どの選手も走って走って走りました。総合順位は、20位から脱出することはできませんでしたが、選手たちにエールを送ります。優勝チームの選手たちにはインタビューがあるのですが、東京農大の選手たちの思いも聞きたかったです。

今年は、東京農大を応援しましたが、選手たちが思いを一つにしてタスキをつないでいく駅伝は、いつも感動します。走り終えて崩れる選手たちを抱える仲間、給水のために水を差し出す仲間たちも、みな駅伝の走りを支えています。

年頭から元気をもらった箱根駅伝。「さ、わたしも精一杯がんばろう!!」と気合いを入れました。

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