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2011年12月30日 (金)

■ 一年を振り返り、被災地を思う

年末を迎え、新聞やテレビでは、今年一年を振り返っています。

今年は、本当に大変な年でした。一番は、だれも想像できなかった大きな災害、3.11の出来事です。どの人もみな、3.11をとおして、いろいろなことを考え、生き方に影響を受けたことでしょう。

そんな中でキラリと光るのが、日本の、そして世界の人々の思いが一つに集まったことです。そこには人間の愛と優しさがあふれていました。

繰り返される津波の映像を見るのは、辛いものですが、3月11日直後に見たショックと違って、年末の時期にテレビに映し出される津波の映像は、もっとさまざまなことを語っています。この津波で命を失った方々への鎮魂の祈り、津波に飲まれながらも奇跡的に助かった方々への「よかったね!」という救われたことへの感謝の祈り、また、今後地震にあったときに、互いの生命を失わないためにどうしたらいいかの学びです。たくさんの場所に設置されたカメラと、逃げる人々が携帯電話などで撮影された映像が、津波を時間軸で検証していくことを可能にしました。

また、福島第一原発の映像では、次々に明らかになる「あのとき」の事実には驚きながらも、これからの地球とエネルギー源をどう求めていくのかを考えざるをえません。

津波を検証していく番組の中で、17歳の女子高校生の言葉が胸に迫りました。川の横の道に立ち、お母さんと一緒に津波がやってくる港の方向を見ていたら、それより早く川を駆け上ってきた津波が水門に突き当たって、二人の背後から襲いかかりました。深い水の中で、お母さんの姿を見失ってしまい、自分だけ助かったということです。

今、その場所に立ちながら、目の前に立つコンビニを見て語りました。「津波で中身が何もなくなっていたコンビニが、今震災の前と同じように開店している。津波のときの姿がなくなっていき、“いったい、あれは何だったのか”と思ってしまう」と。

復興して、生活が元通りになっていくことは大切で必要です。しかし、それが、あの辛い出来事、多くの人の生命を奪い取った震災の記憶が薄れていくことにもなるのです。難しい問題だなと思いました。

この一年、みなさまはいかがでしたか? 祈りをささげてこの一年を終え、祈りとともに新しい年を迎えたいと思います。

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2011年12月26日 (月)

■ 好きな番組(23)……カーネーション

NHKテレビ 月~土8:00~8:15

ファッションデザイナー“コシノ三姉妹”で有名な、コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコを育てた母・小篠綾子さんの生涯を描いたNHKの朝ドラ「カーネーション」が、テンポよく進んでいます。10月から放送が始まり、ちょうど半ばにさしかかったところです。昨日の放送では、昭和20年3月の東京大空襲の後、大阪が空襲に襲われたところでした。

岸和田市に生まれた主人公の糸子は、岸和田のだんじり祭りが大好きな元気印の女の子です。だんじり祭りの山車の上に乗りたかったほどで、はぎれのよい岸和田弁と、男勝りの活発さが、糸子を強く頼りがいのある人物にしています。呉服店に生まれた糸子は、ミシンに魅せられ、いくつかのテーラーで修行を積んだ後、呉服店を洋裁店に改装します。斬新なアイデアと開拓精神で、次々といろいろなことに挑戦していきます。戦争中の慎ましい生活の中でも、モンペ教室を開いて女性たちにオシャレを提案します。糸子にほれたテーラー時代の同僚が婿養子に入り、3人の女の子をもうけます。

戦争が始まり、夫に赤紙が来ます。夫はいつも機嫌のよい人で、糸子の仕事を支えてくれましたが、出征した後で浮気をしていたことが判明します。

この「カーネーション」、2つの点でイイナ~~~と思って見ています。一つは反戦への思いです。感じたことをまっすぐ表現し、実現していく強い糸子ですが、当時、綾子さんが実際に口から発したかどうかはわかりません。今の時代だからこそ言えるのかもしれませんが、糸子はしっかりと戦争に対する疑問を語っています。

夫が出征した後、町内の婦人会のこわいおばさんたちが店にやってきて、お国の一大事だから、夫が使わなくなったミシンを供出するようにと迫ります。糸子は言います。「主人が帰ってきたらすぐ仕事ができるようにしておきたいので、供出することはできません」。その言葉を聞いた婦人会長は怒ります。「帰ってくるとは、どういう了見ですか。お骨になって帰ってこそ、値打ちがあるというものです!」と。悔しい思いが煮えたぎる糸子は怒鳴り返そうとしますが、周囲にいた両親に抑えられ口をふさがれます。

夜、糸子は夫が隣の布団で休んでいた姿を思い出し、「夫の体が骨になってこその値打ちというのか、これだけのものを石炭みたいに燃やして、日本は何がほしいというのか。戦争って何や……」と、しみじみと問いかけます。

もう一つは、糸子の“糾明”する姿勢です。糸子自身がナレーターをしているのですが、その中で自分の心の動きを語っていきます。食べ物がない時代に、糸子の洋裁店には、野菜がたくさんありました。それはお金が払えないお客さんが野菜で支払ったものでした。父親の葬儀のために手伝いに来た近所の奥様方がそれを見て、「闇」で買っているのではないかと疑い、うわさが流れます。糸子たちは白い目で見られるようになります。「配給」に並んだことがないことも、疑いをもたれた原因でした。糸子は、なぜ配給の列に並ばなかったのかと自問します。「家の人たちを、そんなところに並ばせたくない。自分が稼いでみなを養っているのだという自負があったのではないか……」。糸子は、この痛い出来事から、世間と折り合っていくことの大切さを学びます。

この他にもある魅力は、家族のあたたかさと、商店街の人びとやお店の縫い子さんたちとのかかわりです。

脚本は渡辺あやさんは、映画「ジョゼと虎と魚たち」(2003)、阪神神戸大地震後の成長した子どもたちを描いたドラマ「その街のこども」(2010)などの脚本を書かれた方で、家族や人と人のつながりを、独特の視点で描いています。これから糸子は、戦地で病に倒れる夫の死を体験し、戦後、女手一つで3人の娘をファッションデザイナーとして育てていきますが、たくましい母として、またファッションデザイナーとしてどのように描かれていくのか楽しみです。

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2011年12月22日 (木)

■ Novara(ノヴァーラ)の様子

Novara00_2日本からイタリアに勉強に行っているシスター近藤から、クリスマスの挨拶が届きました。
今彼女は、ピエモンテ州にあるノヴァーラで使徒職の実習をしています。
クリスマスを前にしたノヴァーラの街の様子をつたえてくれましたので、皆様にもご紹介しましょう。

                (右の写真は、イタリア通り)

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11月中旬からは、ほぼ毎日曜日、カテドラル近くの大通りを使って、市が並びます。これはHARIBO(上の左の写真)というキャンディーのお店です。食べ物、衣料、植木、食器など様々です。
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ノヴァーラの中心地は、小高い丘の上にあるため、修道院の窓からは、天気が良ければ、モンテ・ローザ(アルプス山脈で2番目に高い山)がきれいに見えます。
                (上の右の写真は、広場)
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修道院近くにあるSt.Gaudenzio(サン・ガウデンツィオ)教会です。
ノヴァーラのシンボル的な塔です。 外出先から、帰ってくるときにまず、目に留まるのはこの塔です。
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書院もクリスマスの飾りつけをしました。
天井から下がる黄色い星、ツリーの白い星は院長様の手作りです。

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2011年12月19日 (月)

■ 上五島巡礼記7 野崎島

Nozaki000 野崎島は、新上五島町ではなく小値賀(おぢか)町にある人が住まない島で、鉄川与助氏が手掛けた「旧野首教会」が残る島です。
わたしたちは、新上五島町の津和崎港から漁船でこの島に渡りました。
かつてこの島は、野崎、野首、舟森という三集落があり、600人ほどが暮らしていたそうです。野崎集落は、神道の人たちが住み、この島に最初に住み着いた人たちです。野首と舟森集落は隠れキリシタンたちが住む集落で、この島には2つの教会があったようです。
野崎集落には、飛鳥時代に創建された由緒ある「沖の神島神社」があり、神官がただ一人この島に残り神社を守っていましたが、2001(平成13)年にこの神官も島を離れたそうです。
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野首港から島に入ると、すぐに十字架のある墓地の跡が見えました。飛ばされそうな強い風の中、さらに坂を上り島に入って行くと、野崎ダムがありました。このダムは、水不足の多い小値賀町に送る水道水のためのダムです。ここで、子鹿がわたしたちを迎えてくれました。野生のニホンジカ400頭以上が生息し、木や草花を植えても芽が出るとすぐに食べてしまうそうで、このあたりはほとんどの木が芽や葉を食べられ裸になっていました。
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このダムを抜けると野首の集落に入り、旧野首教会が見えてきました。今は、教会として使われていないとはいえ、その姿は重々しく、聖堂の中は深い祈りが込められていて、思わず手を合わせたくなる空間が広がっています。
周囲には段々畑の跡が広がり、こんな中で信仰を守るために生き続けたキリシタンを思うと胸が熱くなりました。
教会のすぐ下には、廃校となった小中学校をそのまま利用して休憩・宿泊施設を備えた「野崎島自然学塾村」ができていました。ここには、水道、電気、ガス、電話なども備えられ、子どもたちなどの無人島体験に利用されているそうです。
帰りに船長が、舟森集落に船でまわってくれました。野首より急な段々畑の跡と、教会跡に建てられた大きな十字架が、キリシタンたちの厳しい生活を語ってくれているようでした。
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2011年12月15日 (木)

■ オキザリス

修道院の日当たりの良い窓際と、寒くなってめっきりさびしくなった庭にピンクのかわいい花が咲いています。近づいてよく見ると、花の前に「もものかがやき オキザリス」と書かれた札がさされていました。
確かに名前どおり、輝くようなピンク色です。
朝はつんつんとたくさんの細長いつぼみが天に向かって立っていますが、日が差して明るくなるとやわらかなピンクの花が開きます。そして、夕方になってまた暗くなると花は閉じてしまいます。日の光が大好きのようです。
オキザリスはカタバミ科の一種だそうです。
「輝く心」、「喜び」、「母親の優しさ」という花言葉のとおり、寒さの中でも心が温かくなる花です。
どこか、苦しみの中にあるときそっと包んでくださる神様の愛に似ています。

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2011年12月11日 (日)

■ オーストラリアのクリスマス

Img_3166_2 オーストラリアで宣教しているシスター松本が、クリスマスを前にした街の様子を知らせてくれました。
シスター松本は、オーストラリア連邦の南オーストラリア州の州都であるアデレード(Adelaide)の書店で働いています。

     *     *     *     *     *

書店から徒歩2~3分のところにある、クリスマスの飾り付けをした商店街の写真です。
この日は、日差しは強くても風や日陰はひんやりしていたので、みながみな半そでではないですが、日本のクリスマスでは見られない風景(夏の装い)でしょう?
でも、サンタさんはやはり冬の装いというところが味噌です。

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2011年12月 7日 (水)

■ 上五島巡礼記6 キリシタン洞窟

五島の若松島には、キリシタン洞窟と言われる場所があります。
五島のキリシタン弾圧は、明治に入っても続き五島崩れ といわれる最後のキリシタン弾圧が起こりました。この弾圧の時に、里ノ浦地区のキリシタン信徒の3家族が、迫害を避けて、この洞窟に隠れました。洞窟は、奥行き50メートル・高さ幅5メートル程の洞窟で、海岸からは見えない格好の隠れ場でした。しかし、ある朝、食事を炊く煙を、沖の漁船に見つけられ、役人の知るところとなって捕らえられ、厳しい拷問を受けました。この時以来、この洞窟をキリシタンワンド(洞窟)と呼ぶようなったそうです。
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この洞窟には、今でも船でしか行くことができません。わたしたちも、桐古里郷にある深浦港からチャーターした漁船で、この洞窟を訪ねました。
船で15分ほどの場所に、洞窟はあります。洞窟の手前には、シルエットがマリア様に見えるという岩場がありました。確かに、船を泊めてもらい見ると、マリア様が立っておられるように見えます。思わず手を合わせて祈っていました。
その岩場をまわると、いよいよキリシタン洞窟が見えてきました。
1967(昭和42)年に、町の協力も得て建てられたという、3メートルもある白いキリスト像がわたしたちを迎えるように建っていました。船を寄せてもらい、ゴツゴツとした岩場に降り立つと、冷たく激しい風が吹き付けます。こんな場所に、3家族のキリシタンたちが隠れ住んだと思うと、いったいどうやって過ごしていたのだろうと驚くと同時に、その深い信仰に「わたしたちの信仰を強めてください」と自然と祈っていました。
波にも風にも負けず岩の間に咲く白い花が、今もこのキリシタンたちの思いを伝えてくれているようで、胸が熱くなりました。
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2011年12月 4日 (日)

■ 上五島巡礼記5 希望の聖母

浜串は、五島で唯一の「十字架船団」と呼ばれるカトリック信徒の漁村です。
カトリック浜串教会から車で1分くらいにある浜串港入口の岬の突端に、白い大きな聖母像が立っています。
1954(昭和29)年に、航海の安全と大漁を願い建てられました。
聖母像は、海に突き出すように岩場に建てられています。
幼子イエスを抱き抱えた聖母の顔は、やさしいまなざしで海を見つめ見守っているように見えます。
東北地方太平洋沖地震を体験した今、このやさしい聖母のまなざしは、海と共に生きる方たち、そして亡くなった方たちを包んでくれるように思えました。
「希望の聖母」というこの名前も、今わたしたちが一歩踏み出すための力を与えてくれるように感じます。
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