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2009年6月19日 (金)

■「司祭年」はじまる。

Photo_6 教皇ベネディクト16世は、6月19日の「イエスのみ心の祭日」を、「世界司祭の聖化のための祈願日」とさだめ、司祭たちのために祈ってきました。そして、今年、聖ヴィアンネが亡くなって150年を記念して、6月19日~2010年6月19日までを特別年の「司祭年」としました。

サンピエトロ大聖堂で行われる19日の晩の祈りから、司祭年がはじまります。日本では、前日にあたる昨日、東京・四ッ谷の聖イグナチオ教会で、司教協議会の主催の「開年のミサ」が執り行われました。前日まで司教総会が開かれていたこともあって、ほとんどの司教さまが参加しました。入堂のために前庭に並んでいる司祭、司教の姿には、圧倒されました。

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前庭に整列し、ミサの開始を待つ司祭たち                      入堂する司教たち

岡田大司教の司式で、ボッテッリ教皇大使も祭壇を囲まれました。大勢の信徒と、神学生、修道者も熱心に「司祭年」のはじまりのために祈りました。

Photo_3 説教に立たれた広島教区の原田神父は、第一朗読がイザヤ書であり、イエスが宣教活動をはじめる前に朗読されたのがイザヤ書であったということからお話をはじめました。司祭、預言者、王としての救い主であるイエスを見ながら、イエスの特徴である「深いあわれみの姿」をひもといてくださいました。最後に、「わたしたち司祭が、イザヤの熱意と、主イエスの深くあわれむ心に従いますように。聖ヴィアンネの没後150年にあたり、信仰と愛のあかしを立てることができますように」との祈りで結びました。

説教の後、司祭・司教たちは立って「司祭の約束の更新」をしました。わたしたちも心を合わせて祈りました。

司祭の大切な役務の一つに、ミサの司式がありますが、ミサの中で、司祭が特別な手を持っていると感じるのが「聖変化」のときです。岡田司教がホスチアを手に持ち、または、ぶどう酒の入ったカリスを手に持って高くささげているとき、周囲の司祭たちは右手をかざし、岡田司教に合わせて、イエスのことばを唱えます。「みなこれを取って食べなさい。これは、あなたがたのためにわたされるわたしの体である」と。神聖な時です。

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「司祭の約束の更新」をする司教、司祭たち       聖変化で右手をかざす司教、司祭たち

これからの一年、わたしたちも司祭の使命を理解し、彼らのために祈り、新しい司祭たちが誕生するように熱心に祈りたいと思いました。

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コメント

遅ればせながら、コメントする。私はいい年をして、司祭はおろか、教会のリ−ダ−になった経験がほとんどない。子供たちの面倒を見たこともなければ、訪問部の活動も参加したりしなかったり。まさに、エレミアの預言の「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。」状態。自分の救いばかり追い求めて来たのかもしれない。司祭年に当たり、もっと積極的にならなければと思っている。

投稿: みかえる | 2009年7月19日 (日) 21時46分

アンドレ・フロッサールと言う方が「司祭とは他人が孤独でないように、自らはひとりで生きる人の事である」という言葉を、大学時代に教わった事があります。(大学時代のノートをいまだに取ってあるのですよ^^;)
私たちのために、自らはひとりで生きることを選択され、自分自身を完全に神様にお捧げした司祭様たちには本当に頭が下がります。
どうか、神様がこの犠牲を大いに祝福してくださいますように…と祈らずにはいられません。
全国の司教様、司祭様に感謝の気持ちで一杯です。
神様、どうかお護りください、と私も司祭年にあわせ、毎日お祈りしております。

投稿: テレジア | 2009年7月13日 (月) 17時43分

このところ、あることを、(ここには書けませんが)
時々思い出して心が、痛んでいます。

自分の罪の事で・・
告解をしましたが、多分、自分が心から改心をしていないから、こうして何時までも思い出すのだろうと思います。

許せない自分が居るのです。
いっそ、罪などではないと思うことが楽なような気もします。
こんなことを考えることが、神に許されて愛されている証拠かももしれません。

ほんと、毎日でも望めばミサにも与ることが出来る私は幸せものです。

すみません。記事とは関係なく、意味不明で・・・
シスター方のお祈りに支えられていることに感謝です。
もちろん、司教様、神父様の信仰に支えられていることも実感しています。感謝です。

投稿: satoko | 2009年6月22日 (月) 21時38分

6月19日は司祭の聖化の日、ということを、昨日始めて知りました。しかも15年前から、この日が毎年繰り返されて行われてきた! わたしが知らなかったことに驚きながら、今年は「司祭年」で、19日に開年のミサが捧げられたことを感謝しました。わたしが今日あるために、どれほどの司祭方がお働き下さったかを思い、気が遠くなるほどの思いをしています。この一年、「司祭年」の深い意味を少しでも味わい深められるよう、シスターたちからのメッセージを期待して待っています。よろしくお願いいたします。

投稿: | 2009年6月20日 (土) 09時38分

 今、信徒のわたしは、何の迫害も弾圧も受けることなく、
毎週ミサに預かることができます。
・・・なんと素晴らしい神の恵みでしょう。
神に感謝と喜びの祈りをささげます。
 そして、神の使徒である聖職者たちに
いつも恩義と敬愛の心をいだいています。
 今、私は、あなたたちを心から待ちわびて死んでいった
多くの名もなき「隠れキリシタン」とともに、
喜びと感謝をもって、教会の聖体祭儀に参加することができます。
 感謝の言葉である「ありがとう」の語源は「在り難き出来事である」です。
 つまり、神の「御はらかい」と摂理は、すべて「ありがとう」の連続といえます。

投稿: ヨハネ | 2009年6月20日 (土) 02時02分

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