3月31日から上野の東京国立博物館平成館で開催されている「興福寺創建1300年記念 国宝阿修羅展」は、開催日から大勢の人々で混み合っています。NHKでも阿修羅像の神秘を解き明かす番組が放送され、ますます拝観者が増えているのではないでしょうか? 少年のようなきゃしゃな体つきで、眉に憂いがある人間的な表情をしたこの像に、なぜ人々はこれほどひかれるのでしょう? 彼に何を感じるのでしょう? 阿修羅像は、宗派、宗教を超えて、日本人の心に訴える何かを持っているのでしょう。
10日の日曜日、阿修羅展に行ってきました。開館前に着くように行ったのですが、すでに長蛇の列です。10分待って入ることができました。最初は「第1章 興福寺創建と中金堂鎮壇具」で、8世紀、奈良時代の生活や祈りで使う道具の数々を展示しています。きめ細やかな彫金がほどこされた花鏡、水晶や瑪瑙(めのう)のきれいに磨かれた数珠玉などが並びます。当時の技術水準の高さに驚くばかりです。教科書で見た「和同開珎」の銭もありました。
次は本命、「第2章 国宝阿修羅像とその世界」です。734年に、光明皇后が、亡くなった母上の一周忌のために作らせた仏像の数々で、八部衆、十大弟子の中からいくつかの像が展示されていました。阿修羅像と同じように、どの像も人間的な表情をしています。名前がユニークです。八部衆は仏教を守る「天」で、鳥の頭の迦楼羅(かるら)、角が一つある緊那羅(きんなら)、三面六臂(さんめんろっぴ)の阿修羅など。十大弟子はお釈迦さまに従った10人のお弟子さんたちで、それぞれ優れた能力を持っていました。知恵者の舎利弗(しゃりほつ)、戒律に詳しい富楼那(ふるな)、論議の迦旃延(かせんえん)、釈迦の説法を多く聞いた阿難(あなん)といった具合です。さながら、イエスを囲む12使徒でしょうか。しかし12使徒の場合は、ごくごく普通の人々でした。こうして一つひとつのご像の説明を読みながら見ていくと、それぞれに親しみを感じて興味深くなっていきました。当時の人々の仏教との親しさを感じます。これらの仏像は、みな興福寺から運ばれてきました。また、今から1,200年以上前の人々が拝み祈ったご像を、今こうやって見ているのだと思うと、こんなに長い間よくご無事で……と、感激してしまいます。
そして、いよいよ阿修羅像です。阿修羅像のために特別に用意された通路を歩て……、見えました。シンと静まった空間に、台座の上に、阿修羅像が立っていました。台座の周
囲には、幾重にも人囲いができていて、係の人が「立ち止まらずに、お進みください!」「後ろの方が見えるように、見終わった方は後ろの方と交代してください!」などと必死に呼びかけているのですが、人の輪はなかなか動きません。そこへ、前の展示場から次々に人々が入ってくるのです。
人波にもまれてながら、しっかりと像を見つめました。棒のような細い6本の腕。2本を大き く上に広げ、2本は胸の前に合わせて祈り、両足は少し開いてスックと立っています。自分の信念のために祈っているようでもあり、厳しい世の中を生きる民衆のために祈っているようにも見えます。眉間のしわは、悩みながらもがんばって生きる姿を、わたしたちに見せてくれているようにも感じました。正面の顔は、正面から見ると厳しそうですが、横顔は鼻筋が通ってとてもきれいで優しいお顔です。ご像の前には、手を合わせて祈っているおばあちゃんがいました。もう一つ驚くことは、身につけている装身具と衣の金色の美しさです。
最後の「第3章 中金堂再建と仏像」は、阿修羅像たちとはまったく違った本来の仏像で、鎌倉時代の菩薩立像、四天王の立像が展示されていました。中金堂は来年立て替えられるそうです。
少年のような身の軽さと、上に広げた手から感じる自由さ、しっかりと合わせた祈る手の力強さ、そして、苦悩や決意、優しさ、希望を感じさせる3面の顔の表情。救いや祈りの対象としてだけの仏像ではなく、わたしたち人間と同じ感情があり親しみを感じるのが、阿修羅像の魅力かもしれません。しっかりと自分の前方を見つめる眼差しに、生きる力を感じた阿修羅像でした。
上野の東京国立博物館の会期は6月7日まで。7月14日~9月27日は、九州国立博物館で開催されます。ぜひ、阿修羅像に会ってきてください。
■上野国立博物館「阿修羅展」サイト
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