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2008年5月29日 (木)

■ 後藤寿庵祭

2008_mizusawa001_3 田植えも一段落した5月25日(日)、カトリック水沢教会主催の「後藤寿庵祭」が行われました。
昨年の市町村合併により、これまでの「水沢市」が「奥州市水沢区」となって初めての「後藤寿庵祭」でした。
この日は朝から雨で、いつもは寿庵廟前の広場の会場は「胆沢平野土地改良区」の建物に変更されました。
通常、お祭りと言うと、雨が降ると「あいにくの雨模様で……」などと、あいさつし合うのですが、さすが「寿庵祭」と感心したのは、「この雨は寿庵さまに似つかわしいですね」とか「(静かに降る今日のような雨は、)稲のために、いちばんいい雨ですね」とお互いがあいさつなさっていたことでした。
例年、春の祭りは教会主催、秋の祭りは地域主催で行われる「寿庵祭」ですが、150人の参加者の内、約50人が地域の方々で、共にミサに参加し、寿庵についての講演を聴きました。

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             会場となった建物              ミサの風景と寿庵祭の旗

カトリックの最大の祭りは「ミサ」です。午前10時から、平賀徹夫司教の主司式によるミサが始まりました。
ヨハネ福音書の「友のためにいのちを捨てること、これより大きな愛はない」という箇所が読まれた後、つぎのような説教がありました。
「私たちは寿庵祭を開いて、水沢の地に灌漑工事をし、農民を助けたという寿庵の大きな業績を顕彰するだけではありません。彼が人々のために自分の命を捨てるほどに愛したという、その愛を顕彰するのです。
今年、11月24日にペトロ岐部と187殉教者の列福式が行われますが、ペトロ岐部司祭は迫害の嵐が吹きすさぶ日本に帰り、命を捨てるより大きな愛はないことを示しました。彼は、水沢の信者を助けていましたが、1633年水沢で捕らえられ、翌年江戸で殉教した人です」。

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説教の後、田畑と参加している大地の人々に祝別が、香と寿庵の十字架と聖水で行われました。しかし、雨のため、田畑に向かって窓からの祝別でした。
このような祈りが唱えられ、祝別されました。
「全能、永遠の神よ、あなたは忠実なしもべ後藤寿庵を、胆沢平野の偉大な開拓者として私たちに与えてくださいました。私たちは今日、後藤寿庵ゆかりの地に集い、心を合わせてあなたに祈ります。どうか、農家の一人ひとり、作物の一つひとつの命を守り、育み、豊かな実りをお与えください。そして、その実りが私たちの心と体の糧となり、一人ひとりの命の輝きが増していきますよう、私たちの主、イエス・キリストによってお願いいたします」。
その後、土地の祝福を主に願い、落雷、暴風雨、水害、冷害、干ばつ、火災などの災害から守られるように、祈りをささげました。

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               奥州市市長                     安彦公一氏

来賓のあいさつでは、奥州市長など4、5人が祝詞を述べられましたが、どの来賓も、寿庵を深く尊敬して、寿庵のおかげで今日の我々があるという感謝の心が感じられました。特に、寿庵が1612年に、福原の地に来られたことを記念し、4年後には400年祭を企画しているという話も紹介されました。
講演は、郷土史家でもあり、胆江日々新聞社取締役編集長・安彦公一(あびこ きんいち)氏。
2008_mizusawa008 「今日は、歴史的にハッキリしていることだけをお話しいたしましょう」、と石母田文書と言われる中に残されている寿庵について書かれている4通の手紙を中心に話されました。
当時、伊達藩は、四公六民(収穫物の4割を税金に納め、6割が農民の取り分)が実施されたいましたが、水沢では寿庵がその税をさらに軽減しており、寿庵の後に赴任した横沢将監が、「どういたしましょうか」と城主である石母田大膳に、手紙で尋ねています。
どんなに、農民のことを思っていたかがわかります。当時、紀伊藩では、八公二民で、民は苦しい生活を強いられていた例もあるのです。
さらに、寿庵は胆沢平野の灌漑工事のために、お金が必要だったのですが、税金を高く取り立てようとは思わず、自分が方々から50両のお金を借金していました。ところが、迫害が激しくなり、人々が尊敬する寿庵を逃しました。そのため、50両の借金がそのままになっていたのですが、ある夜、50両を持たせて、寿庵の後任の横沢将監に届けています。どこかで、寿庵が50両を得て、返却したのです。
たぶん、これは寿庵が鉱山で働いて得たお金ではないかと想像されるそうです。その鉱山は、大籠あたりの鉱山かもしれないとのことでした。2008_mizusawa009_4
すべての行事が終わり、雨のちらつく中、寿庵廟や、ペトロ岐部が逮捕されたクルスバ墓地とその周辺を歩いてきました。クルスバ墓地は、寿庵の時代には、キリシタンの墓地だったのですが、迫害の時代になり、お寺の墓地となり、名前だけは「クルスバ墓地」として残っているものです。この近くに流れる小川に架かる橋の上で、ペトロ岐部が逮捕されました。彼はそこから江戸に送られ、殉教したのです。
寿庵たちが、福音を信じるものたちの地にしようと、「福原」と地名を変え、灌漑工事に励み、「アラビアの砂漠」に似ているとカルバリオ神父が述べたと言われる胆沢平野を現在の穀倉地帯に変えたのでした。
寿庵が逃がされた時、カルバリオ神父は秋田の鉱山に逃れ、そこにいる多くのキリシタンたちを助けていましたが、ついに逮捕され、仙台に送られ、広瀬川で殉教したのでした。
こうして、牧者のいなくなった水沢の地に、ペトロ岐部が信者に秘跡を授け、羊の世話をするためにやってきて、働いていたのですが、クルスバ近くの橋の上で、とうとう逮捕されてしまったのです。

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2008年5月26日 (月)

■中国・四川大地震 チャリティーコンサート

今も大きな余震が続き、大雨でダムの決壊が心配されている中国四川地域ですが、25日(日)の夕方、東京都港区の六本木ヒルズにある六本木アリーナで、「中国四川大地震 チャリティーコンサート」が開催されました。主催の「四川大地震チャリティーコンサート実行委員会」からの呼びかけで輪が広がり、すがはらやすのり、amin、“和太鼓グループ・群馬”や“グループエンジェル・群馬”の子どもたちや宋次郎など日本のアーティストと、アグネス・チャン、ヤン・チェンや在日中国芸術家たちのグループ、踊りの鳳仙功など日本に住む中国人のアーティストたち、さらに、このチャリティーコンサートのためにかけつけた孫国慶など中国のアーティストたちが集まりました。

呼びかけ人の一人である朱建栄氏 (東京学園大学教授)は、「世界各地の支援の中で、困難に立ち向かい復興を求めてチャリティーコンサートを開きました。アリーナの歌声、拍手は、中国4,500万人の被災者に届くと思います」とあいさつし、会場に集まった人々は大きな拍手を送りました。

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あいさつする朱建栄氏(左)         「がんばれ!」とこぶしを上げる出演者たち

中国からかけつけた方々の歌が披露された後、中国へ救助に向かった日本救援隊隊長の小泉隊長が登場しました。お話の間に、子をかばうような姿で亡くなっていた母と子の遺体に向かって、隊員たちが黙祷をささげた姿に中国の人々が感動したという話になると、会場のあちこちか「ありがと! 、謝々!」と声が贈られました。日本と中国が一つになっている場で、とても温かいものを感じました。

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日本救援隊隊長の小泉氏(中央) 

アグネス・チャンは、「希望を失ってはいけない、自分の命も人の命も大切にしなくては…」と平和を求める歌をうたいました。その他、京劇の俳優であるご夫婦が、お面が一瞬にして次々に替わる踊りには、その変わりのすごさに驚きの声が出ました。亡くなった方々や被災者の方々に祈りをささげる「アヴェ・マリア」のピアノ演奏、会場を揺るがすような迫力のある和太鼓の演奏、柳琴、二胡、馬頭琴、揚琴、編鐘などの中国 楽器の演奏など、日本と中国の文化が出会う場ともなりました。中国・西安出身のヤン・チェン、内モンゴル自治区出身のオドバル、重慶出身の潘幽燕の3人が力強くうたい、その声に大陸を感じました。

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かつても今も反目してしまう弱さを持つ人間ですが、ともに力を合わせて一つに向かうことができるのも人間のすばらしさです。今回の地震の被災者たちを応援するために作曲したという斯琴格日楽(スーチングラ)は、「どれほどの母たちの涙が流されてきたか、できることから一歩を踏み出せば、歩んでいく足あとに、いつの日か……」とうたいました。蒙古族出身の斯琴格日楽の歌声は高く響き、大草原を吹き抜けるように、会場中に響き渡りました。「この歌声が、四川の人々にも届きますように」とのみんなの願いを乗せているようでした。

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2008年5月23日 (金)

■「平賀司教と語る青年の夕べ」&列福記念ローソクリレーミサ

Relay_mass01_3  5月16日(金)午後8時から17日(土)正午まで、仙台市のラ・サール修道会本部修道院において、「平賀司教と語る青年の夕べ」&列福記念ローソクリレーミサが行われました。
仙台教区では、2003年から隔月に、青年黙想会が行われています。平賀司教が仙台教区司教として着座されて以来、毎年1回、青年黙想会を指導してくださっています。
この黙想会の特徴は、回ごとに、指導してくださる司祭が違うことと、大学生や社会人のカトリック信者の青年たちが、全部出席できなくても、時間のゆるす限り、1日だけでも参加できる黙想会だということです。司教指導の黙想会は、「司教と語る青年の夕べ」として、司教講話の後、青年たちと自由に語り合う時間が設けられています。

「司教様は、どうしてカトリック教会に行くようになったのですか?」
「私は、毎日自転車で高校に通っていたのですが、その途中に教会があったんですよ。高校生の時代には、よく人生の目的はなんだろうと考えますね。私もそうでした。それで、教会に行くようになりました。カトリック教会の看板が、私を呼んだとも言えますね」。
「司祭になりたいと、どうして思われたのですか?」
Relay_mass02_2 「洗礼を受けて、まじめに、このキリスト者としての生き方を追求するには、司祭しかないと思い、当時の仙台の小林司教様に会いに行き、司祭になりたいと申し上げると、それなら神学校に行きなさい、と言われ、大学を卒業してから神学校に入りました」。
などなど、楽しい話し合いが続きました。
青年たちの積極性と、司教の誠実であたたかい人柄を感じた話し合いでした。
ローソクリレーミサは、翌日の10時30分から行われました。
これは、今年11月24日に行われる「ペトロ岐部と187殉教者」の列福式を迎える準備として、長崎の青年たちが企画し、長崎から鹿児島、広島を経て、今回、仙台に送られてきたものです。
Relay_mass03_2  5月25日:広島・岡山地区 → 6月7、8日:高松 → 6月15日:東京・カトリック麹町教会 → 6月22日:名古屋 → 6月28、29日:横浜 → 8月末~9月中旬:札幌(予定) → 9月28日:大分・宮崎地区 → 10月4日:京都 と周り、各地の青年たちが列福に心を繋いでいきながら、最終地・長崎に大きな輪を描きながらリレーされて行くものです。
今回、2回の司教講話も、ミサの説教も、188殉教者に絞られたお話で、よい列福式の準備ができました。

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2008年5月18日 (日)

■ 庭のバラ

今年も、「聖母マリアの月」にふさわしいバラの花が、庭にたくさん咲きました。
毎年、年に2回に美しく花を咲かせてくれます。
5月の「聖母マリアの月」と10月の「ロザリオの月」にあわせるかのように、大輪の花、小さなかわいい花と、聖母を賛美するかのように次々開き、かぐわしい香りを漂わせています。
このバラたちのように、ささやかでもいいから私なりの香りを放つ聖母を喜ばせる花を咲かせたいと願っています。
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2008年5月14日 (水)

■好きな番組(13)……ラスト・フレンズ

フジテレビ 木曜22:00~22:54

タイトルの「ラスト・フレンズ」とは、どういう意味なのでしょう? ドラマの終わりに何が出てくるのか……期待して見はじめました。タイトルもいいですが、出演者もすごい、若手の演技派ばかりです。いろいろな役柄を演じ、映画にドラマにと活躍がめざましい長澤まさみ、上野樹里、瑛太、氷川あさみが中心の群像ドラマで、それぞれに難しい役柄を深くていねいに演じていて、それだけでも見応えがあります。錦戸亮君の演技も、怖い~~~です。さらにすごいのが、内容です。

長澤まさみ演じる美知留は美容室に勤めています。「さみしい子ども時代を過ごしたもの同士、理解しあえる」と宗佑(錦戸亮)と暮らしはじめます。しかし、一緒に暮らして見えてきた宗佑の真の姿は、想像もつかないものでした。美知留がいないとだめだと言いながら、自分の思いどおりにならないと美知留に暴力をふるうのでした。DVです。美知留の同級生瑠可(ルカ・上野樹里)は、久しぶりに合った美知留の傷ついた姿に耐えられません。シェアハウスをしている家に連れて帰ります。その家には、メイクアップアーティストのタケル(瑛太)、スチュアーデスをしているエリ(氷川あさみ)が暮らしていました。

回を追うごとに、登場人物各々が持っている悩みや真の姿が見えてきます。バイクのレーサーを目ざしてトレーニングを受けている瑠可は、男性と同じようなタイムで走れるように努力を重ねています。しかし、小さいころから感じている意識と身体の性の不一致に苦しんでいます。美知留に対しての思いは、友情を超えているようです。そんな瑠可を温かくそっと見つめているタケルは、女性とつきあうことは求めていないようです。

悩みを抱えた一人ひとりが、ハウスシェアという新しい形の共同生活をとおして、どのように成長していくのでしょう。ある意味で、家族以上にお互いのことを理解し助け合っています。その人と人の距離が絶妙に表現されています。

内容的にも、演技においても、なかなかの番組だなぁと感心しながら、どのような展開になっていくのかを楽しみにして、後半を見ていきたいと思います。

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2008年5月 9日 (金)

■横田早紀江さん作詞「コスモスのように」CD発表

“ふわふわと ゆれているコスモスに
ほら! めぐみちゃん トンボが とまろうとしているよ 今年も……”

Dsc08868 横田早紀江さんの作詞に、岩渕まことさんが曲をつけ、奥さんの岩渕由美子さんとともにうたっているCD「コスモスのように」が完成し、今日の午後、信濃町にある「いのちのことば社」で発表記者会見がありました。

地下にあるチャペルには、テレビ局のカメラや新聞社の記者など30名ほどが集まりました。早紀江さんによる詩の朗読の後、さっそく岩渕まこと&由美子さんのうたう「コスモスのように」を聴きました。

めぐみちゃんが6年生のとき、一家は新潟に住んでいました。新潟の家には広いお庭があり、そこで友だちと遊んだりもしました。植物の好きな早紀江さんは、春には水仙を、夏はひまわりを、秋にはコスモスを植え、立派な花を咲かせたそうです。肥料をあげすぎたのか、太い茎のコスモスが咲きました。それを見ためぐみちゃんは、「コスモスってなんだか弱々しく揺れている花なのに、ほら、お母さん、お母さんが育てたコスモスって、茎が太く花も大きくって風にも揺れないよ」と言ったそうです。「お母さんが一生懸命作ったのに、あなたもおもしろいこと言うね。」早紀江さんとめぐみちゃんはいろいろなことを楽しくお話したそうです。めぐみちゃんも植物や動物が大好きでした。

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岩渕さんは、花のまわりをめぐみさんと早紀江さんがまわっているようなイメージで、この曲をとおしていろいろな人の心にスイッチが入ったらいいと思って作曲されたそうです。

ほのぼのとした素朴な歌です。歌がうたわれている間、早紀江さんはじっと目を閉じ聴いていらっしゃいました。どんな思いで、どんなことを目に浮かべながら聴いていらっしゃったのでしょう。早紀江さんの思いを想像しながら、こちらも目頭が熱くなりました。めぐみちゃんと会える日を祈りながら待っていらっしゃいます。

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めぐみさんがいなくなってから30年が過ぎました。おりしも今日の朝刊で、韓国でヘギョンちゃんに会う……という誤報が流れましたが、拉致問題に関して、なにも進展はないようです。しかし、早紀江さんは、めぐみちゃんが遠い空の下で、早紀江さんが育てたコスモスのように地に足をふんばって生きていると確信しています。

早紀江さんは、毎晩、この曲を聴いているそうです。楽しい母と娘の語らいが再び実現しますようにと、早紀江さんたちの祈りに心をあわせて祈ります。

※CD「コスモスのように」WLP-LK46478 1,050円(税込) 発売元:ライフ・ミュージック 
  ご注文は amazon.co.jp で

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2008年5月 5日 (月)

■ 聖母マリアの月

Maria02 今月は、「聖母マリアの月」です。
修道院の食堂の入り口に、使徒の女王聖マリアの像があります。この使徒の女王の後ろの壁を、毎月その月にふさわしいテーマで飾ってくれる姉妹がいます。
今月は、「聖母マリアの月」ですから、この祈りのコーナーをご紹介しましょう。
5月には、母の日があるので、きれいな色のカーネーションと季節の花々。そして、11日の聖霊降臨にあわせて、聖霊のシンボルのハトから聖霊がくだっています。その下には、聖母マリアの月にふさわしい一連のロザリオが飾られています。Maria01パネルに飾られた一つひとつに、聖母マリアへの祈りが込められているのを感じます。
このパネルは、作った姉妹から聖母マリアへのささげもの・・・。きっと聖母マリアも喜んでくださっていることでしょう。
皆様は、今月聖母マリアに何をおささげになりますか。

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2008年5月 1日 (木)

■聖パウロ修道会に、新司祭誕生!!

春は、叙階式の季節。4月29日、横浜教区でも、さいたま教区でも叙階式が行われました。そして、四ッ谷の聖イグナチオ教会主聖堂では、聖パウロ修道会の吉田助祭の司祭叙階式が行われました。

聖パウロ修道会では久しぶりの叙階式で、お祝いに集まった人々の喜びもひとしおでした。聖イグナチオ教会主聖堂には、ご家族の他に、聖パウロ家族の3つの修道会の会員たち、吉田新司祭の出身教会の司祭と信徒の方々、司祭になるために勉強した神学校の仲間たち、今働いているサンパウロの職場の人々などなど、500人近い人々が集まり、新司祭の誕生を祝いました。

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司式された岡田大司教に続いて参列した司祭たちが、次々と吉田新司祭の前に立ち、頭に按手していきます。静かな神の世界でした。

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司祭になるまでには長い道のりが必要とされます。哲学、神学、司牧学、宣教学、聖書学、などなどたくさんの勉強の他に、教会での実習もあり、司祭となるための準備が行われます。

吉田新司祭は、式後のあいさつで「修道会に入って司祭になるまで10年かかるよ、長いよ、と言われました。本当に10年かかりました。しかし、この10年はあっと言う間でした。
小学校3年のときに通った日曜学校、京都で出会った施設の司祭、中学、高校、大学へと進み……いろいろな方のお世話になりました。多くの人の力によってここまで来ました。お祈りの力を感じています。大学を卒業して社会人になってから、修道会のことを考えました。そのとき、聖パウロ修道会のことはあまり頭にありませんでしたが、シスターたちの祈りの力があったからだろうと思います。今は、聖パウロ修道会でよかったと思っています。わたしを支えてくださった人に、恩返しができればと思います」と語っていました。優しいお人柄がそのままあふれるあいさつで、聖堂内は笑いに包まれました。

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その後、となりのヨゼフホールで祝賀会が行われました。余興が豊かで、みな、吉田新司祭の誕生がうれしくてたまらない……という感じでした。わたしたち女子パウロ会も歌と踊りを披露しました。吉幾三さんの「やがて世界が歌いだす」を「吉田新司祭おめでとう! パウロ家族おめでとう!」と替え歌にして、少し手話も入れ、カラーのビニールテープで作ったボンボンを振って踊りました。

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吉田新司祭は3日に、わたしたちの修道院に初ミサに来てくださいます。これからが、本番です。末永~~く、よろしくお願いいたします。

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