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2008年3月30日 (日)

■ クリスマスローズ パウロ

Christmasrose1 ご復活祭に、姉妹がめずらしいクリスマスローズをいただきました。
名前はなんと「パウロ」です。
名前の由来は、前教皇ヨハネ・パウロ2世と、使徒聖パウロから命名したものだそうです。
ドイツのホイガー氏が交配育成した品種で、“ヘレボルス ゴールド コレクション(HGC)”というところが研究、育成したのだそうです。
「クリスマスローズ」の話をご存じですか。この花に付いていたしおりではじめてこの話を知りましたので、ご紹介しましょう。
イエスの誕生したとき、祝福にきた貧しい羊飼いの少女が、何かイエスにささげものをしようと思いましたが、季節は冬で1輪の花も見つかりませんでした。少女が悲しくて泣いていると、その涙が種となって、芽が出てバラと同じ美しい花を咲かせました。少女は喜び、この花をイエスにささげました。
Christmasrose2 クリスマスローズは、この話と同じように、やさしく可憐な花だなと思います。
この話を知って、なおさら「パウロ」と名前のついたこの花に興味が湧きました。
普通のクリスマスローズは、花が下を向いているのですが、この花は堂々と上を向いています。つぼみと開きはじめのときは、真っ白な花が、しばらくすると葉と同じ緑色になります。そのため、花があまり目立たないのですが、より清楚な感じがします。
人びとの中で目立つことなく、けれどしっかりと自分の信仰を保ち、愛の光を放つことができればと思っています。

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2008年3月26日 (水)

■ 信徒のガイド

Guide_1 「平戸・佐世保モニターツアー」の第3弾です。
今回は、このツアーのすてきなガイドをご紹介しましょう。
観光ボランティアガイドをご存じですか。自分の住んでいる地域を案内してくれるボランティアガイドです。今回のツアーでは、平戸と黒島で、ボランティアガイドの方が案内をしてくださいました。お二人とも、カトリック信徒で、教会の歴史や生きた信仰生活を交えながらのガイド、とても感動しました。
最初に回った平戸は、宝亀教会、紐差教会、生月の殉教地と山田教会、そして平戸のザビエル記念教会と教会めぐりと言ってもいい旅でした。共に聖歌を歌い、教会の基礎を築かれた神父の秘話など、巡礼の言葉にピッタリのガイドでした。
そして、地元ガイドのいいところ、お寺の中を通り抜けたりと楽しい案内もありました。
Guide_2 黒島では、案内していただく間に、なんと 亡くなられた聖パウロ会の神父のご親戚の方とわかり、思い出話に盛りあがりました。
信徒の方は、観光客の方たちに案内をしながら、カトリック教会を紹介するというすばらしい宣教をしておられました。

観光ボランティアガイド:http://www.jrkyushu.co.jp/tokyo/guide/nagasaki.html

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2008年3月21日 (金)

■「赤坂サカス」オープニング“Sacasウォーク”

3月20日、「赤坂サカス」がグランド・オープンしました。オープニングイベントとして、TBSDsc086361_3 の テレビやラジオと関連したイベントをはじめ、いろいろなイベントが行われていますが、その一つとして「Sacasウォーク」がありました。「赤坂」の名のごとく、この周辺は「坂」がたくさんあります。また江戸城の近くに位置していたことから、大名屋敷や神社・仏閣も多く、「Sacasウォーク」では、これらの坂を歩こうという企画でした。参加者が多く抽選だったそうですが、めでたく当選しました。8:30~13:00まで、いくつかのグループに分かれて歩いたのですが、20日は大雨でどうなるかしらと思っていましたが雨天決行! たくさんの人が集まってきました。わたしたちは9:10出発のBグループの1、15人ほどがリーダーを先頭に出発です。「行ってきま~~す!」

歩く範囲は、赤坂サカス、氷川神社、東京ミッドタウン、高橋是清公園、豊川稲荷を結ぶ修道院のご近所です。

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氷川神社                             薬研坂

修道院のすぐそばにある乃木神社前の「乃木坂」もそうですが、本当に坂が多い地域です。江戸時代から道が悪く転ぶ人が多かったという転坂(ころびざか)、陸奥南部藩の下屋敷があったという南部坂、大石内蔵助の「南部坂雪の別れ」の舞台となった坂だそうです。氷川神社の横の氷川坂、長州毛利家の屋敷は檜の木が多く、檜屋敷とよばれたことからついた檜坂、毛利屋敷の日本庭園は東京ミッドタウンの檜町公園になっています。急な坂で、割増料金三分(さんぷん)を払ったことからついた三分坂、円通寺近くの円通寺坂、旭飛稲荷に通じる稲荷坂、元禄12年に新しくできた坂として名がついた新坂(しんさか)、薬草から薬を作るために使った薬研に似ていることからついた薬研坂、この坂は下って上ります。金沢藩主米倉丹後の主の屋敷があった丹後坂、急な坂で牛が悲鳴をあげて苦しんだという牛鳴坂(うしなるざか)。名前の由来がおもしろいです。

途中、5か所あるチェックポイントで、参加賞でもらったエコバックにスタンプを押してもらいながら歩きました。それぞれの坂には「江戸東京ガイド」のメンバーが雨の中を待っていてくださり説明をしてくださいました。さらに、交差点や曲がり角には、たくさんのスタッフが立ち、道案内をしてくれました。身体が冷えてしまったのでは……と心配しています。ありがとうございました。

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坂の説明をしてくれる江戸東京ガイドのメンバー    桜が満開の豊川稲荷と道案内のスタッフ

「後で江戸時代の地図を見てみたいね」と言いながら、大名屋敷があった道を歩きました。自分の住んでいる地域に目を向ける、よい機会となりました。桜が咲いたら、もらった“Sacas Waik Map”を手に、もう一度歩いてみたいと思います。

※赤坂Sacas http://sacas.net/

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2008年3月19日 (水)

■平戸まち歩き2

「平戸まち歩き」の第2弾です。引き続き、今も歴史の色濃く残る、平戸の町をご紹介しましょう。
教会の見える坂から、寺院を通り次の坂道に抜けました。道ぞいにいくつもお地蔵様がある坂を下って行くと、石畳が敷かれた道「延命町」に入ります。ここは蘭英貿易のころ、多くの貿易商が軒を並べた通りで、1600年代のメインストリートです。かつて、この一間先は海でした。お地蔵様がたくさんあるのは、やはり浮橋主水事件の影響だそうです。この通りに、江戸初期の貿易商川崎屋の庭に茂っていた大蘇鉄があります。樹齢400年を超えるのこの木は、枝があまりにも大きいため、何カ所も支えがしてありました。この蘇鉄の幹にはいくつもの釘が打たれていた。それは、昔蘇鉄に釘を打つと、歯の痛みがとれると信じられていたためです。
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Hirado_203 平戸に最初に入ったのは、明(中国)でした。そのため、この界隈にはたくさんの明人が住み、その名残と言える「六角井戸」が残っています。
さらに下って行くと、左手の丘の上に、平戸や松浦家の歴史を物語るもの約300点が展示されている松浦史料博物館があります。
この資料館に入るために、石畳の階段があります。この階段が何とも不思議なことに、両側の階段が段差がかなり高いのです。その理由を聞いて驚きました。この段差の高い階段は、殿様が馬に乗ったままこの階段を使って上って行ったためだそうです。この史料博物館の建物は、廃藩置県の際、殿様の住居として作られた「鶴ケ峯邸」です。そして、石垣は桃山時代のものと聞き、その歴史の深さにさらに驚かされました。
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入り口には、オランダとイギリスの国旗が掲げられていました。これは、オランダ商館とイギリス商館があった名残だそうです。
ちょうど私たちが訪れた時、「平戸温泉城下雛まつり」(2月15日~4月3日)が行われていましたが、この松浦史料博物館には、松平定信の娘秦姫が、松浦家代35代熈(ひろむ)に輿入れした時に持参しためずらしい雛人形が展示されていました。この雛人形は、細かい細工のされたたくさんの道具のついたものでしたが、雛人形はとても小さなものでした。これは、節約がうたわれた時代であったためだそうです。
また、受胎告知の描かれたオランダ鉢が展示されていました。激しい切支丹迫害の中、よくこのようなものが残ったものだと驚かされました。
海岸の近くに、「うで湯・あし湯」と書かれた、無料の平戸温泉がありました。あし湯には、小さな座るための貸し出し用の畳も用意されていました。時間がなかったので、うで湯だけ体験しましたが、ほんの少しだけお湯につけていただけで、手がすべすべになりました。近所の店には、タオルが販売されていて、何も持たずに行っても「うで湯・あし湯」を利用することができます。まち歩きに疲れた足を休めるには、絶好のポイントかもしれません。

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2008年3月15日 (土)

■平戸まち歩き1

Hirado_101_3 ご招待で、「平戸・佐世保モニターツアー」に行ってきました。
平戸は、フランシスコ・ザビエルも鹿児島に滞在した後、訪れています。当時、平戸にポルトガル船が入港し、ザビエルは手紙を受け取るために訪れたと言われています。
また、その後、オランダ商館とイギリス商館も開設され、長崎の出島ができる前に世界に開かれた港町だったそうです。そのため、豊かな歴史の足跡が町のいろいろな所に残っています。
寺院と教会が一枚に収まった平戸の写真は、こんな歴史の一面を見せてくれます。
まず、平戸ザビエル記念教会にバスで行き、そこから坂をくだりながら、「平戸まち歩き」を楽しむことになりました。
山の一番上にあるカトリック教会、その下に松浦家の菩提寺があり、さらにその下に寺院があります。現在は城の空堀跡に石畳が造られ、道となっています。風情のある坂道を下って行きながら、上を見上げると、寺院と教会の屋根が重なりあい、なんとも不思議な美しい景色です。
なぜこんな景色となったかについて、おもしろい話を聞きました。
Hirado_102 昔は殿様がなくなると、近臣は殉死するのが通例でした。平戸を治めていた松浦藩の28代隆信(宗陽)には、浮橋主水(うきはし もんど)という家臣がいました。彼は、隆信に非常に寵愛されており、「殿が死んでは、生きていくことができない」といつも言っておりました。しかし、1637年隆信が亡くなっても、旧慣に従って当然殉死するどころか素知らぬ顔の浮橋主水を見て、平戸の人々は「キラズ(切らず)主水」と言い、嫌いました。すると主水は、隆信の母メンシア松東院がキリシタンであったため、1639年、徳川幕府に「平戸は切支丹大名である」と密告しました。浮橋主水事件です。
そこで、幕府は江月和尚をキリシタン検問使として平戸に派遣しました。松浦家の懇意な間柄であった江月は、寺を建てさせ、松浦家が、キリシタンでないことを幕府に証明しました。浮橋主水は伊豆に流罪となり、この事件は終わりました。
隆信の跡を継いだ鎮信(法印)は、松浦藩が切支丹でないことを証しするために、平戸が島であったため、港からよく見える場所にいくつも寺を建てました。また、切支丹に対してきびしい弾圧を行いました。Hirado_103
一番上に教会があるのは、何も寺院の上に教会を建てたかったわけではありません。平戸のザビエル記念教会は、1931(昭和6)年に献堂されました。当時の早坂司教は、宗教が自由になった後この地で宣教を続けたパリ外国宣教会の宣教師たちが、丘の上のよく見える場所に教会を建設したことに倣い、平戸の町にも、山の上のよく目立つ場所に建てることを考えました。そして、墓の上の地であるために、建物が建てられなかった現在の教会の場所が、信徒の畑であったため、その地を譲り受け、教会を建設したのだそうです。
坂の上にある、この教会を建てるために、信徒はたくさんの労働奉仕をしたそうです。
子どもたちも、毎朝学校に行く前に、風呂敷に土を入れ運んだそうです。雨の日はその土を入れた風呂敷が重く、濡れた蓑を重くて着ることができなかったという話を聞きながらこの景色を見ると、より趣のあるものとなりました。

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2008年3月12日 (水)

■庭の花たち

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東京は、風はまだ冷たくても、日差しはすっかり春の日差しです。
花粉症で、外に出るにはマスクが必要ですが、庭を歩くとかわいい花がいっぱいで、花粉症のこともすっかり忘れてしまいます。
アーリールピナス(昇り藤)やクリスマスローズ、沈丁花が、満開です。ムスカリや、ハナニラ、雪割草も花を咲かせています。ご復活の頃には、庭いっぱいの花たちが喜びを歌ってくれることでしょう。
これから、庭の散歩が楽しめそうです。

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2008年3月 7日 (金)

■「つくばエクスプレス」に乗りました!

昨日、「つくばエクスプレス」に乗りました。いつも利用している方にとっては、「なんでそれが?」となるのでしょうけれど、乗る機会のない者には(ん? わたしだけ?)、子どものようにうきうきしてうれしいことでした。「TX」のマークもシャープな感じでステキです。えっ? 遊びですかって? もちろん、仕事です。

ご存じのように、女子パウロ会は書籍や雑誌などだけでなく、ビデオ、DVD、音楽CDを制作・発売しています。昨日は、その音楽CDを作ってくださっている「メモリーテック」というCD製造メーカーのつくば工場に行きました。場所は茨城県筑西市。つくばエクスプレスで終点の「つくば」駅まで行き、そこからさらに車で30分ほど走った筑波山のふもとの、空気がきれいで静かな場所にありました。

つくばエクスプレスは、ご存じのように秋葉原から出ています。わたしたちは乃木坂からDsc085951_2千 代田線に乗り、北千住でつくばエクスプレスに乗り換えました。さすがエクスプレス、速い!「秋葉原」から「つくば」までは、快速で45分、北千住からはたったの30分です。「つくばエクスプレス」は、構内もホームも、明るくて広く気持ちの良い空間でした。列車は大きな窓で、座席は簡素なデザインのブルーシート。うん、ステキ! 乗っているお客さんも、大学の教授かな……と思える方々で、お上りさんのように、うれしさプラスちょっぴり緊張感で乗りました。

途中のどの駅も、駅の周辺には高層マンションの建設が盛んで、沿線はまだまだこれから発展し続けていくようです。畑と林の間にポツリポツリと家があるような地域に、「つくばエクスプレス」の新しい駅ができ、その駅を中心に新しい街ができていきます。(自然を大切にした開発にしてほしいですね。)風景に見とれていたらあっという間に終点「つくば」に到着しました。残念ながら「つくば」駅のホームは地下です。地上に出て「つくば」駅を撮影しようと思って周囲を見たら……、あれ? 駅舎がない。なんだか駅舎がない駅というのは大切なものがない感じですが、これが「イマドキ」なのでしょう、「すごい!」と、またまたうれしくなってしまいました。

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大勢の人が行き交う「つくば」駅の改札                「つくば」駅の外

「つくば」の町並みは、つくば大学をはじめ、いろいろな施設などが広~~い敷地で区切られ、道路も広く街路樹があり、近代都市という感じでした。

「メモリーテック」の社員の方々のさわやかなあいさつとともに、おいしい空気の「つくば」は、すっかりお気に入りになってしまいました。また「つくばエクスプレス」に乗る機会があったら、駅名の由来など下調べをして、地図を片手に乗りたいと思います。

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2008年3月 4日 (火)

■「梅ヶ丘」の梅

咲くのが例年よりちょっと遅い感じの梅の花。しかし、このところの温かさで、修道院の庭の白梅、紅梅ともきれいに満開となりました。春の陽気に誘われて、1日(土)の午後、梅を見に近くまで足を延ばしました

目的地は、東京メトロ・千代田線を代々木上原駅で小田急線に乗り換えて4つ目の「梅ヶDsc074331丘」 駅です。駅から5分ほど歩くと羽根木公園があり、小高い丘一面、梅の木が植えられています。たくさんの種類の梅の木があるので、期待していきましたが、咲いているには1/4ほどで、ちょっと早かったかな……という感じでした。それでも、丘を登ってくる人は多く、梅の木の間の小道を歩いていました。

ときおり砂嵐のような強い風が吹いて空が暗くなるかと思うと、すぐ晴れて太陽の光が差したりと不安定でしたが、咲いている梅を見て歩くと、白にも黄色がかったものや、黄緑が入った白もあり、ピンクでも、濃いピンクや淡いピンク、赤も茜色と紅色……などなど、微妙な色の違いと、花びらの違いがあり、時間の経つのを忘れて見ていました。

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満開の枝垂れ梅の周囲では、一眼レフでじっと被写体を見てシャパっと撮影する人、友達と話しながら携帯電話でシャカっと撮る人とさまざまです。のんびりとした土曜の午後のひとときを、楽しんでいました。

今週末には、見頃になるのでは? 梅祭りも行われるようです。

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2008年3月 1日 (土)

■好きな番組(12)……エジソンの母

TBS 金曜22:00~23:54

なんだかどんどんおもしろくなっていくドラマです。

「どうして、1+1は2なの?」「どうして、鳥は飛べるの?」「どうして、静電気は起きるの?」どうして? どうして? ねえ、どうして??? 子どもには、わからないことがいっぱい。転校生の賢人の口癖は「ねえ、どうしてなの?」。彼にとって世の中、わからないことだらけ。そこで、担任の規子に尋ねる。しかし、応えられない質問ばかり。疑問が行動にも現れ、クラスのみんなを巻き込んで大騒ぎ。担任の規子は賢人に振り回され、子どもたちを押さえることができない。そのたびに学年主任の先輩教師祐子がやってくる。授業崩壊が繰り返され、「問題児」扱いされた賢人は、他の児童の保護者たちから転校を求められたりする。やがて教育委員会からも委員がやってくる。そんな中、いろいろな人から批難される賢人を、母親だけは必死で守り、理解してくれるようにと教師たちに訴える。

頭のいい賢人だが、縄跳びができない。「どうして縄がからまるのだろう?」と考えている。そこへ副担任がやってきて言う、「身体で覚えるんだよ」と。遠くで見ていた担任の規子が近づいてきて言う。「い~い。足が地についているとき、手は次を準備している。それが下に来たとき……。わかった!」賢人のことを理解できるようになってきた規子。「うん……」賢人は言われたことを頭の中で追ってみる。理解できた賢人は縄を回してみる。と、飛べた。「できた!」賢人は大喜び。副担任は言う。「そうか、君は頭で理解できないとダメなんだね」。規子の満足そうな顔。う~~ん、なかなか。

ドラマは回数を重ねていくにつれ、賢人の周囲が変わっていきます。子どもたちが賢人を受け入れていき、担任も授業を工夫するようになり、賢人に冷たくあたっていたベテラン教師の祐子も理解を示すようになっていきます。賢人の「どうして」に触発されて、授業は楽しくなり、子どもたちはみな「どうして」「どうして」を言うようになります。教育のあり方に問題提起をしているようなドラマです。

もう一つ、この番組の好きなところは、例えば2/29放送分でしたら、静電気や落雷、感電の仕組みを図入りで解説してくれるところです。小学一年生に説明しているのですが、テレビを見ているわたしたちも勉強できるのだ。(おっと、賢人の言い方になってしまった!)個性豊かすぎる先生たちも、愉快!!

子どもたち一人ひとりは、それぞれ違った良さを持っています。その子どもたちの能力をどう伸ばしていくのか、教師も両親も問われています。これから、賢人は問題児ではなく天才かもしれない……という方向が出てきます。これがどういう終わりを迎えるのか、子どもたちの生き生きとした笑顔とともに、今後の展開が楽しみです。

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