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2008年2月 8日 (金)

■いのちの声を聴く

Sendai1 「大雪警報が出た」2月3日、女子パウロ会『どこから笑顔が-ホスピスでいのちに寄り添って』の著者赤井聖子さんの講演会「いのちの声を聴く~寄り添うこと~」に行ってきました。赤井聖子さんは、看護師さんです。
40人が入れるゆったりしたホールに、案の定、10分前になっても、参加者は私を入れて3人だけ。どうなることやら、と思っている内に、2、3人ずつ入ってこられ、結局、満席。ほっとしました。
今回の講演会は、今年8月に、日本カトリック医師会主催で、「病める人との対話を学ぶ」というシンポジウムが予定されており、シンポジストの1人である赤井さんの講演会を、カトリック医師会の仙台支部が、まず企画なさったのだそうです。
赤井さんは、ホスピスでのターミナルケアの体験を通じて、聴くことの重大さを話してくださいました。
その中で、ハッと気づかされたことなどを、お伝えしたいと思います。
「ホスピスと一般病棟の違いは、一般病棟では、患者の死は、敗北と受け取られるのですが、ホスピスでは、その人がその人らしく旅立つのを見送ることです。その点がいちばん大きな違いです」。
当然、考えたら分かることなのですが、この言葉を聞いたとき、ホスピス病棟の重大さ、その責任の重さにハッとしたのです。
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「終末期患者とその家族のお世話で、いちばん大切なことは、その人を理解することです。そのためには、傾聴することが必要です」。
「聴くということは、心を傾けて、心で聴き、心から受け入れる。心を込めて」とおっしゃいましたが、この言葉がいちばん心に、ジーンときました。
ターミナルケアの患者さんだけでなく、私たちが、誰かと接するときでも、「心を込め」ているかどうか、ということです。
傾聴ということは、「ベッドサイドに座り込むことであり、その人に関心を示すこと」。これは、立って話を聞いていては、患者さんは「ああ、この人はすぐに立って行ってしまいたいのだな」と思って、心を開いてくださらないのだそうです。
さらに、傾聴とは「言葉の背後にある感情に気づき、共感し、理解すること」。
確かに、私たちの人間関係を見ても、なかなか人は、ストレートに表現しませんね。まず、言葉の背後にある感情に気づかなければ、共感も理解もできないということです。
そして、「受け入れ」、相手にも「受け入れられている」と感じてもらうことが、大切で、これは、その人の感じている身体的痛み、社会的痛み、心の痛みを共有する、ということになるのです。
後半は、実際の事例を挙げながら、傾聴とはこういうことなのか、と納得いくお話でした。
パワーポイントで、整理され、よく準備されたお話で、参加者が一つひとつにうなずいている姿が印象的でした。
傾聴について、「ああ、そうだった!」という気づきと反省を呼び覚ます、すばらしい講演会でした。40人しか入れなかったのが、残念!
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参加者は若い人々が多く、質疑応答では、「3月に看護師になるのですが、希望はホスピス病棟です。でも、直接よりも他の病棟を経験してからの方がいいのでは、とお話を伺って感じましたが、いかがでしょうか」という質問や、実際、傾聴ボランティアをしているので、とても役だった、という感謝などが語られましたが、「聴く」ことが、現代社会にどれほど大切かということを、身につまされて感じた貴重な時間でした。

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コメント

いままさに、この本を手にとって
来月ヘルパーさんに出す小さな新聞のために
この本の紹介文を書き終わったところで、思わずびっくりしました。
なんていうタイミング!
わたしは介護に携わっています。
緩和ケア、ホスピスは究極のケアだと思いました。
頭が下がる思いです。
人の気持ちに寄り添うような介護ができたらと、心から望みます。
また、ヘルパーさんたちにも同じ感動を味わっていただけたらと思い、
お勧めの一冊として紹介する予定です。
赤井さんの講演、聴きたかったなあ…。
聴けてよかったですね。

投稿 Andrea | 2008年2月12日 (火) 22時57分

心を傾けて聴く

ズシッときました。子供たち、夫、友人…
日々忙しさにかまけて『心を傾けて』聴いていなかったように感じます。

これからの課題です良いお話をありがとうございます

投稿 ルーナ | 2008年2月10日 (日) 09時48分

私も、以前に読んだ『病院で死ぬということ』を思い出していました。シリーズ2作目で気持ちが軽くなったものです。実際には、癌に掛かっている人がいた場合、入退院をさせるのに心も体も忙しないものでした。

親戚と近所の方たちをみると、人は意識がなくなって長く寝たままになるのか、意識が最後まであって壮絶な痛みを経験するのかわからないものだなぁとつくづく思います。

死への準備を学んだのは、大人になってすぐにですが、少しずつ身近になっています。

投稿 しほみ | 2008年2月 9日 (土) 17時10分

「病院で死ぬこと」を読みました。
父・食道癌。母・聴神経腫(医療ミスで蘇生を3時間)
舅・入院したら末期肺癌
姑・膝痛で入院中に心肺停止の延命措置。(私の受洗3日後)
輸血をしたらすべて下血・脳死なのに手術を。大腸癌摘出。
(姑は、医学に携わっていたのに、下血有りを無申告でした)
4人とも一般病棟止まりでした。(潔くすぎて!)
長い介護も、ホスピスも体験しなくってすみましたが、
今度は、おそらく予備軍持ちの夫と私の番がやってきますね!
私は、ゆるしの秘跡と聖体拝領を受けてから召されるのが夢です。

投稿 うめ | 2008年2月 9日 (土) 15時15分

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