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2007年8月28日 (火)

■方言

4820232010_2  食卓で、本の話題から一人の姉妹が、こんなことを話してくれました。
 「浅田次郎氏の小説『壬生義士伝』は、盛岡弁なのよ。黙読しているとわからないけれど、声を出して読んでみるとまた違ったおもしろさがあるのよ」と。
 本会でも『父さんの宝物』を出版している山浦玄嗣氏は、岩手県大船渡市の出身で、専門の医学のかたわら、ふるさとの気仙地方の言葉『ケセン語』の研究をしておられます。さらに、山浦氏は、ケセン語で聖書を訳して、『ケセン語訳 新約聖書』まで出しておられるのです。
 ケセン語で聖書を読むことで、今まで気づかなかった新たなことに出会い、聖書がより深くそして身近に理解できるということを聞き、実は私も故郷の方言で聖書を訳すことに挑戦したことがあります。しかし、これが、なかなか難しく、「宣べ伝え」はなんと言ったらいいのかな…と、ほとんど訳すことができませんでした。
 方言に訳さないまでも、聖書を自分の身近なことばにして読んでみたり、そのままでも声を出して読んでみるのは、聖書に親しむための一つの方法かもしれません。

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コメント

「方言」の声を出して聖書を読んでみると言う記事について、ひとこと書かせていただきました。

先日、配偶者を亡くした友人の集まりで「一人住まいで一日中誰とも話さないと、電話がかかった時声がかすれてすぐ出ないので、朝日新聞の『天声人語』を声を出して読む」と言う話がありました。その時ある友人が「『聖書と典礼』を使い、その日の福音書と詩編を大きな声を出して読むと良い」と提案してくれました。それ以来続けています。朝の聖書朗読は気持ちが落ち着き「与えていただいた今日一日を大切に」と元気がでます。

投稿 牧野ゆみ子 | 2007年9月 7日 (金) 22時35分

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