夜、J-WAVEの「JAM DHE WORD」を聞いていたら、“15MINTES”のコーナーで、「浦上天主堂の廃墟取り壊しの疑惑」という内容で取り上げられていました。「浦上天主堂」と聞くと、やはり耳がダンボになります。ジャーナリストの高瀬毅さんを招いて、原爆投下後の浦上教会の、廃墟保存についての疑惑のお話でした。
原爆が投下され、爆心地の東北約500mの地点に建っていた浦上天主堂も、徹底的に破壊されました。廃墟となった浦上天主堂の写真集があるそうです。長崎出身の高瀬毅さんも今まで見たこともないくらい、たくさんの写真が載っている写真集だそうです。
浦上天主堂は、廃墟の保存が困難であるという理由から、1958年に廃墟が撤去され、
1959年に鉄筋コンクリートで再建され、その1980年に現在のレンガ造りの教会に復元され現在に至っています。今は、廃墟ではなく、被爆した聖母像や天使・聖人の像が残っています。当時、広島の原爆ドームのように永久保存しようとする被爆者と市民の声は高かったそうですが、破壊が進んでいて保存は困難であるということと、信徒たちの、新しい聖堂を早く建てたいという希望から、廃墟を撤去することに決まったそうです。当時の山口司教は、寄付金集めのために米国の各地の教会を訪れたそうです。また、同じころ、長崎市長だった田川務市長が姉妹都市の米国・セントポール市を訪問したそうです。そこに、廃墟撤去との何らかの因果関係があるのでしょうか。
米国は原爆投下が戦争を終えるために必要だったという姿勢を今も崩していません。広島の原爆ドームは、米国にとっては目障りな存在だそうです。ましてや、長崎はカトリックの町です。キリスト教を信じる者が、なぜ、同じキリストを信じるカトリックの町・長崎の信徒の上に原爆を投下したのか……。もし、天主堂の廃墟が遺跡として保存されれば、原爆投下の責任を世界から問われ続けることになります。だから、何らかの圧力をかけて、廃墟保存をやめさせたのではないかということも考えられる、ということでした。
え、そこまで米国から圧力をかけられていた? 本当なら悔しいですね。今となっては、長崎原爆投下を刻んでいる数少ない天使、聖人の像や「被爆のマリア像」を大切にしようということでしょうか。高瀬さんからのメッセージである「長崎を最後の被爆地に……」を合い言葉に、核廃絶を願っていきたいと思います。
態度が一変した田川市長の帰国後、市議会で激しい論争が繰り広げられたそうです。その中である議員さんが言ったそうです。「遺跡が時代を語り、歴史を教えてくれる」と……。いったん無くしてしまったものは、後になってはどうすることもできません。後世に伝える大切なものを、今の生活の便利さによって無くしてしまわないように、気をつけなくてはいけません。
「週刊朝日」の今週号に、浦上天主堂の廃墟の写真と高瀬さんの記事が載っているそうです。もっと詳しく知りたい方は、ご覧ください。
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