« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007年8月28日 (火)

■方言

4820232010_2  食卓で、本の話題から一人の姉妹が、こんなことを話してくれました。
 「浅田次郎氏の小説『壬生義士伝』は、盛岡弁なのよ。黙読しているとわからないけれど、声を出して読んでみるとまた違ったおもしろさがあるのよ」と。
 本会でも『父さんの宝物』を出版している山浦玄嗣氏は、岩手県大船渡市の出身で、専門の医学のかたわら、ふるさとの気仙地方の言葉『ケセン語』の研究をしておられます。さらに、山浦氏は、ケセン語で聖書を訳して、『ケセン語訳 新約聖書』まで出しておられるのです。
 ケセン語で聖書を読むことで、今まで気づかなかった新たなことに出会い、聖書がより深くそして身近に理解できるということを聞き、実は私も故郷の方言で聖書を訳すことに挑戦したことがあります。しかし、これが、なかなか難しく、「宣べ伝え」はなんと言ったらいいのかな…と、ほとんど訳すことができませんでした。
 方言に訳さないまでも、聖書を自分の身近なことばにして読んでみたり、そのままでも声を出して読んでみるのは、聖書に親しむための一つの方法かもしれません。

| | コメント (1)

2007年8月20日 (月)

■サン・ピエトロ広場で会った人

 サン・ピエトロ広場で、写真を撮っていたら、ニコニコしてこちらに近づいてくる司祭がいました。こちらとしては、回廊の階段に座っている人々を撮影しようとしていたのですが、カメラを向けたところにちょうどこの司祭がいて、自分を撮影したくてカメラを向けたと勘違いされたようです。わたしたちの徽章を見て、女子パウロ会だと分かると、いろいろと話しはじめられました。その方は、AGOSTINO CACCIAVILLAN枢機卿で、ケニアなどでバチカン大使をしたことがあり、日本にもよく立ち寄られるようです。

Dsc054301  Dsc054341

 立ち話をしていると、また向こうからアメリカ人の司祭が近づいてきました。“ホーリー・クロス”という修道会の司祭で枢機卿とお友達のようです。久しぶりにあった二人は、抱き合って再会を喜んでいました。いろいろな出会いがありますが、ここサン・ピエトロ広場では、ほんとうにたくさんの司祭、修道者が歩いています。その中には、日本ではお目にかからないような修道服があり、修道会がたくさんあることを知ることがわかります。一人ひとりを写真に撮っていったら、修道服のアルバムができそうです。

 その中で、長い黒の修道服に身を包んだシスターたちが、アイスクリームを食べていました。とてもかわいかったので、写真を撮らせていただきました。何という修道会なのでしょうね。日本にはない修道会のようです。

Dsc054651  Dsc054331   

 サン・ピエトロの聖堂の横に売店があり、そこで師イエズス修道女会のシスターが働いていますが、お店の2階に上っていってビックリしました。日本人のシスターが働いていました。よく知っているシスターだったので、驚いてしまいました。というのも、身のこなしがすっかりイタリア風になっていて、日本人とは思えなかったからです。「えーっ、いつからこちらに来ているの?」「すぐには、わからなかった。イタリア人かと思った。イタリア人の中にも、東洋的な人がいるから……」と、しばらくぶりだったので、話がはずみました。後少したつの観光客が大勢来て、話すことができないくらいになるので、今会えてよかったと言っていました。

 ローマには、世界各地から勉学や働きに来ている司祭、修道者が大勢います。日本では、マイノリティーのカトリックですが、ここでは、同じ信仰を持っている人が集まっているので、なんとなく親しみを感じます。それにしても、この広いサン・ピエトロ広場、教皇ミサのときには、いったい何万人が集まるのでしょうか。聖人たちに囲まれた広場で、ミサに参加してみたいものです。

| | コメント (1)

2007年8月18日 (土)

■サン・ピエトロ広場から

 総会のために、お祈りいただきましてありがとうございます。総会が終わる9月の下旬まで、ローマと東京からブログをお送りいたします。

 総会に参加するため、ローマにやってきました。日本は、記録的な暑さを更新しているようですが、こちらローマも、真っ青な空から容赦のない太陽の日差しが注がれています。しかし、高層ビルがないからでしょうか、吹く風が涼しく、気持ちのよい汗をかいています。朝晩は、とてもさわやかです。

 ローマに来たら、やはりサン・ピエトロに行ってごあいさつを……ということで、こちらに来て2日目の今日、朝のバスで行ってきました。夏の期間は観光客が多く、サン・ピエトロに入るために並ぶよ、と聞いていましたので、朝食を済ませてすぐ出発しました。サン・ピエトロ広場に着いたのが、8:30ごろだったでしょうか? 聖堂には並ぶことなく入ることができました。すでに大勢の人が来ていましたが、高い天井から入る朝の日差しが聖堂内に注がれていました。

Dsc054391 Dsc054661_2  

 サン・ピエトロの売店を見たり、広場前の通りにあるサンパウロのお店を見たりした後で、お昼前のバスに乗るために再びサン・ピエトロ広場に来ると、広場はスゴイ人になっていました。聖堂に入るために長蛇の列ができていました。画像ではよく見えませんが、列柱のところから並んでいるのです。広場のあちこちには、ツアーの人々が集まっていました。

 聖人たちの像や絵がいたるところにあり、先人たちの信仰を伝えている聖堂、サン・ピエトロ。サーッと通るだけですが、いつか、一つひとつの絵や像に描かれている人、これらを作った人たちに思いをはせながら、ゆっくりと時間をかけて訪れてみたいものです。

Dsc054551  Dsc054581
クーポラへ上る順番を待つ人々の列                夏でもきちんとした身なりのスイス兵

| | コメント (5)

2007年8月15日 (水)

■“総会”が行われます

 今日は、聖母被昇天の祭日でした。カトリック教会では、大きなお祝い日で、修道院はお休みでした。また今日は、カトリック平和旬間の最後の日にも当たっていました。いつの時代も、世界の平和を求めていらっしゃる聖母の取り次ぎを願い、また戦争で亡くなった方々の永遠の安息と、今も心身の傷で痛みを抱えていらっしゃる方々のために、一日聖体を顕示して、交代で祈り継ぎました。今も、紛争やテロが絶えないこの世界を、聖母はどのように見ていらっしゃるでしょう。母として、じっと見守ってくださっている聖母を、わたしたちは裏切ってはいけないと思います。

 さて、修道会というところでは、“総会”という全世界から会員の代表者が集まって行う会議があります。会によって、何年後とかは違いますが、過去を見直し、これからの歩みの方向性を決めます。神から各修道会に与えられたカリスマにそって、また社会の動きから求められることを識別して、祈りのうちに会議を行っていきます。

 聖パウロ女子修道会でも、今年は総会の年で、8月20日から9月20まで、ローマで開催されます。会議の後半では、総長と総顧問たちが選出され、新しい統治体制ができあがります。70人の総会メンバーと、通訳、事務局のシスターたちで総勢80人ほどになるでしょうか。日本からも、日本の総責任者である管区長とその他に3人の計4人が参加します。修道会の中で、もっとも大切な会議で、世界各地の会員たちも、総会に心をあわせて祈りで支えます。

 神の導きに敏感になりその促しに従っていくことができるように、こうして激動の時代の中で、与えられた使命をよく果たしていくことができるよう、お祈りください。

| | コメント (3)

2007年8月13日 (月)

■戦後62年を迎えて

 8月6日、9日の原爆投下の日を終え、15日の終戦記念日が近づいてきました。各放送局では、それぞれ特別番組を放送しています。

 今晩の「ニュース23」では、3夜連続の終戦特別企画「終わらない戦争」が設けられました。1回目は、語り続けなければいけない戦争として、「きけわだつみのこえ」を書いた、中村徳郎さん克郎さん兄弟を取り上げていました。二等兵で入隊した中村徳郎さんは、軍隊で日記を書いていましたが、上官の検閲を受けるため本心が書けないと、戦車の中でもう一冊の日記を書きました。最後の面会の日に、弟の克郎さんは兄からこの大切な日記を託されました。これを読んだ克郎さんは、全国に呼びかけて兵士たちの手記を集め『きけわだつみのこえ』を出版しました。わだつみの活動は、今、克郎さんの娘さんに引き継がれ、克郎さんが平和を求めて収集した10万冊の本とともに、後世に語り伝えようとされています。

 NHKでも、昨晩はドラマ「鬼太郎が見た玉砕」が放送されました。「ゲゲゲの鬼太郎」を書いた水木しげるさんの戦争体験と、漫画「総員玉砕せよ!」の執筆とを並行して語られました。ラバウル戦線での不条理な玉砕のやりとりが展開されていました。一人ひとりの大切ないのちが軽く見られていたことがなんとも悔しい現実でした。

 その後、教育テレビにチャンネルを回すと、「“昭和”と格闘した作家、城山三郎」が語られていました。その中で取り上げた一冊に『落日燃ゆ』がありました。東京裁判で、ただ一人文官としてA級戦犯とされ絞首刑にあった広田弘毅を追って書いたものです。広田は、軍部たちが自己を守ろうとしている中、法廷で一切自己弁護せず、死んだ後は、家族にも一切自分について口外しないようにと固く誓わせました。その潔い生き方を描いたものでした。

 毎年、この時期になると戦争について考えるために、いろいろな番組が企画されますが、毎年進歩しているように思います。いろいろな資料が年を経るにしたがって公開され明らかになっていく部分が出てくるからでしょうか。また、高齢になって、語り伝えなくてはいけないと思う人が出てくるからでしょうか。

 城山三郎、水木しげる、中村徳郎・克郎兄弟ら、たくさんの先人たちが伝えようとして執筆してくれた書籍を、大切な遺産として受けていきたいと思います。一冊一冊、時間をかけ大切に読み継いでいきたいと思いました。

| | コメント (2)

2007年8月11日 (土)

■カトリック平和旬間「巡礼ウォーク」

   日本のカトリック教会は、今「カトリック平和旬間」を過ごしています。東京大司教区では、今日は、「巡礼ウォーク」が行われました。目白駅からカテドラル聖マリア大聖堂までのコースと、四ッ谷の聖イグナチオ教会からカテドラルまでのコースがあり、四ッ谷からのウォークに参加しました。

Cimg06541  Cimg06611
   岡田大司教との祈り                                                 さあ、出発!

 聖イグナチオ教会主聖堂に集まった巡礼者は100名ほどでしょうか。15:00に、岡田大司教のお祈りと「平和の祈り2007」を一緒に祈り、「キリストの平和」を歌って、炎天下の中、出発しました。四ッ谷見附→市ヶ谷田町→牛込中央通り→牛込天神町→江戸川橋→そして、目白通りを上ると椿山荘が見え、カテドラルにつきます。岡田大司教とチェレスティーノ神父を先頭にして、狭い歩道に長い巡礼者の列ができました。互いに語り合いながら、またはロザリオを祈りながら、また岡田大司教のおすすめに従って「あなたの敵をあいしなさい」というイエスの教えを黙想しながら歩きました。途中、信号待ちもあったりして、列はとぎれとぎれになってしまいましたが、要所要所にスタッフの方が方向を示してくださり、1時間余の後、無事カテドラルに到着しました。すでに、目白コースの方々が到着していて、出会いの会話がはずみました。冷たい麦茶でのどをうるおしました。

Dsc054181_2  Dsc054191 

 17:00からは、ベリス・メルセス修道女会のシスター弘田のお話がありました。「日米教会の取り組み」というテーマでした。「パックス・キリスト」という世界的規模の活動団体がありますが、その米国の「パックス・キリスト」年次総会に招かれてスピーチをなさった松浦司教が、日本の憲法9条が、まさにキリストの福音を憲法にしたものだということで驚きをもって受け入れられたというお話から、「反戦、反核」の戦争反対、核武装反対ではなく「非戦、非核」つまり、戦争をしない、核を保たないの信念を持とう。イエスの言葉が、何を語りかけているのか、問い続けていこうと私たちを鼓舞してくださいました。

Cimg06711_2  18:00からは岡田大司教司式の「平和のミサ」がありました。司祭も20名ほど並ばれ、ミサ開始時刻になると、聖堂はほぼ満席となりました。平和を求める歌声が聖堂いっぱいに響き渡り、大勢の人が参加していることを実感しました。

 平和旬間の間、「祈りのリレー」も行われており、明日の午後は、ケルンホールで、岡田大司教と東大の高橋哲哉氏の講演会も行われます。平和について深め祈るために、いろいろな形でのイベントが用意されているので、都合のつくものに参加できてとてもいいなと思いました。

 「神の愛といつくしみを生き抜かれた、私たちと同じ人間となられたナザレのイエスに倣って生きよう!」という岡田大司教の言葉を、日々深めて過ごしたいと思います。

| | コメント (1)

2007年8月 8日 (水)

■取り壊された「浦上天主堂」の廃墟

Dsc01733  夜、J-WAVEの「JAM DHE WORD」を聞いていたら、“15MINTES”のコーナーで、「浦上天主堂の廃墟取り壊しの疑惑」という内容で取り上げられていました。「浦上天主堂」と聞くと、やはり耳がダンボになります。ジャーナリストの高瀬毅さんを招いて、原爆投下後の浦上教会の、廃墟保存についての疑惑のお話でした。

 原爆が投下され、爆心地の東北約500mの地点に建っていた浦上天主堂も、徹底的に破壊されました。廃墟となった浦上天主堂の写真集があるそうです。長崎出身の高瀬毅さんも今まで見たこともないくらい、たくさんの写真が載っている写真集だそうです。

 浦上天主堂は、廃墟の保存が困難であるという理由から、1958年に廃墟が撤去され、Dsc01273 1959年に鉄筋コンクリートで再建され、その1980年に現在のレンガ造りの教会に復元され現在に至っています。今は、廃墟ではなく、被爆した聖母像や天使・聖人の像が残っています。当時、広島の原爆ドームのように永久保存しようとする被爆者と市民の声は高かったそうですが、破壊が進んでいて保存は困難であるということと、信徒たちの、新しい聖堂を早く建てたいという希望から、廃墟を撤去することに決まったそうです。当時の山口司教は、寄付金集めのために米国の各地の教会を訪れたそうです。また、同じころ、長崎市長だった田川務市長が姉妹都市の米国・セントポール市を訪問したそうです。そこに、廃墟撤去との何らかの因果関係があるのでしょうか。

Dsc01704  米国は原爆投下が戦争を終えるために必要だったという姿勢を今も崩していません。広島の原爆ドームは、米国にとっては目障りな存在だそうです。ましてや、長崎はカトリックの町です。キリスト教を信じる者が、なぜ、同じキリストを信じるカトリックの町・長崎の信徒の上に原爆を投下したのか……。もし、天主堂の廃墟が遺跡として保存されれば、原爆投下の責任を世界から問われ続けることになります。だから、何らかの圧力をかけて、廃墟保存をやめさせたのではないかということも考えられる、ということでした。

 え、そこまで米国から圧力をかけられていた? 本当なら悔しいですね。今となっては、長崎原爆投下を刻んでいる数少ない天使、聖人の像や「被爆のマリア像」を大切にしようということでしょうか。高瀬さんからのメッセージである「長崎を最後の被爆地に……」を合い言葉に、核廃絶を願っていきたいと思います。
 
 態度が一変した田川市長の帰国後、市議会で激しい論争が繰り広げられたそうです。その中である議員さんが言ったそうです。「遺跡が時代を語り、歴史を教えてくれる」と……。いったん無くしてしまったものは、後になってはどうすることもできません。後世に伝える大切なものを、今の生活の便利さによって無くしてしまわないように、気をつけなくてはいけません。

 「週刊朝日」の今週号に、浦上天主堂の廃墟の写真と高瀬さんの記事が載っているそうです。もっと詳しく知りたい方は、ご覧ください。

| | コメント (2)

2007年8月 6日 (月)

■「主よ、あなたでしたら……」

 修道院では、晩の祈りのときに、次の日のミサで読まれる新約聖書を読み、しばらく沈黙の中で祈った後、心に残った文章、言葉を分かち合っています。

 明日は、イエスが嵐の中の湖の上を、弟子たちが乗っている舟に向かって歩いてくるという場面が読まれます。(マタイ14.22~36)

 そのとき弟子たちは、向こう岸に渡るため舟を漕いでいました。しかし、逆風だったので舟がなかなか進みませんでした。すると、夜があけるころ、湖の上をイエスが歩いてこちらにやってくる姿が見えました。人間が湖の上を歩くなんてことはできません。「幽霊だ!」弟子たちは怖くなって叫びました。するとイエスと見える幽霊は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言いました。Mt1424

 ペトロはまだ疑っていたのでしょうか。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の 上を歩いてそちらに行かせてください。」と言いました。イエスの「来なさい」という声に、ペトロは舟から足を湖面に出し、イエスの方へ向かって歩き出します。しかし、強い風が吹いていたことに気がついたとき、怖くなり、すると沈み始めてしまいました。

 この場面を読みながら、ペトロがほほえましく思えました。そして、とても短い時間に、ペトロの心は右に左に大きく揺れたように思います。イエスだなんてウソだろう……、と思って自らが発した「そちらに行かせてください」という言葉がそのまま自分に返ってきてしまって「来なさい」と言われ、ペトロは行かないわけにはいかなくなった。「ええっ、本気?」湖の上を歩いたら歩けてしまった。ますます「ええっ? 歩いているよ」と思った瞬間、強い風が吹いて「いったい、自分は……。えっ、こんなことが……」などと心を乱したら、沈み初めてしまったという、ペトロの気持ちがドタバタと落ち着いていないところが想像できます。

 思えば、今日の「主の変容」で読まれた朗読(ルカ9.28b~36)でも、ペトロは栄光に輝くイエスの姿を目の当たりにし、自分でも何を言っているのか分からないほど興奮して言葉を発しています。「「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。」

 黙って、ただ驚いていてもいいのに、つい、何か言葉を発してしまうペトロ。だれよりも、興奮していたのかもしれません。身近に感じる、ほほえましいペトロです。

| | コメント (1)

2007年8月 4日 (土)

■平和のための祈り

 今日は8月最初の土曜日で、乃木坂の修道院の聖堂では、夜7:30からは「アレオパゴスの祈り」がありました。今回のテーマは「平和」、6日から15日まで行われる「カトリック平和旬間」を前に祈りました。世界中を訪問して「旅する教皇」と呼ばれた教皇ヨハネ・パウロ2世は、1981年2月、暑いフィリピンを訪問された後、冬の日本を訪問してくださいました。 短い日程の中で、「平和の巡礼者」として広島を訪れた教皇は、平和記念公園から世界に向けて「平和アピール」を宣言しました。「アレオパゴスの祈り」では、その「平和アピール」の抜粋を聞きながら、祈りました。

   戦争は人間のしわざです。
   戦争は人間の生命の破壊です。
   戦争は死です。
   この広島の町、この平和記念堂ほど強烈に、
   この真理を世界に訴えている場所はほかにありません。

 力強く、印象深い言葉でアピールが始まりました。
 
   本日、わたしは深い気持ちに駆られ、
   「平和の巡礼者」として、この地にまいり、
   非常な感動を覚えています。
   わたしがこの広島平和記念公園への訪問を希望したのは、
   過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことだ、
   という強い確信を持っているからです。

 「過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。」とくり返しながら、核戦争をAssisi_francesco0041 拒否することの大切さを訴え、終わりのほうでは、「神よ、わたしの声を聞いてください」と祈りをささげました。

 6日の広島、9日の長崎への原爆投下、15日の終戦記念日、カトリック教会の典礼では、6日は「主の変容」、15日は「聖母の被昇天」です。「カトリック平和旬間」の間、アシジの聖フランシスコの「平和を求める祈り」を、心を込めて祈りたいと思います。

平和を求める祈り」→http://pauline.or.jp/modules/oinori/index.php/peace01.html

| | コメント (0)

2007年8月 1日 (水)

■『包帯クラブ』

 『孤独の歌声』『永遠の仔』『家族狩り』など、現代社会の家族と子どもたちの苦しみを取り上げて話題になった作家、天童荒太氏。天童氏の最新作が、昨年新書版の形で出版さ れたのが『包帯クラブ』です。

 登場人物は男女の高校生たち。手首に包帯を巻いていて「リスカ」と間違えられた主人公ワラと病院の屋上で出会ったディノのふたりから、「包帯クラブ」がはじまります。いろいろなことで傷ついている子どもたちの心を癒やすために、傷つけられた場所や物に包帯を巻いていき傷を癒やす……というクラブ、この輪が次々と広がっていきます。

Dsc054151 『包帯クラブ』はこの夏、柳楽優弥と石原さとみによって映画化されることになりました。

 包帯を巻いて心が軽くなるのは、傷が治ったわけじゃなく、<わたしは、ここで傷を受けたんだ>と自覚することができ、自分以外の人からも、<それは傷だよ>って認めてもらえたことで、ほっとするんじゃないかと思った。
 「傷だからさ、手当したら、いつか直っていくんじゃない」  
(本文59ページより)

 次々と傷ついた仲間が出てきます。こういうことが辛くて、こういうことで人は傷つくよね。読みながら、この本自体が、読んでいる人の心の傷を癒やしていると思いました。天童荒太氏の感性に、改めて敬服しました。

 どのような映像になっているのか、9月の封切りが楽しみです。

| | コメント (1)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »