■神との親しさ
今日のミサの第1朗読は「創世記」18章20~32節で、アブラハムの取りなしの祈りでした。「正しい者が50人のために、町をお赦しにはならないのですか」「50に5人足りないかもしれません……」「40人しかいなかもしれません」「いえ、30人かも……」「もっと少なく20人かも……」神に救いを求めるアブラハムは、謙虚に少しずつ願いながら、とうとう「10人のためにわたしは滅ぼさない」という神の言葉をいただきます。
聖イグナチオ教会の7時のミサの中で、バンバン神父は、「このように神に願うのは、アブラハムと神との親しい関係があったからである」「初対面のときの会話は、あいさつとか表面的な言葉のやりとりだが、その人との関係が親しくなれば、きれいな言葉をかわさなくてもよくなり、思っていることを語り合うようになる。……神との関係も同じで、親しみのある信仰が日々の祈りを育てる」とおっしゃっていました。
私は、神との距離を、どの程度にしているのだろうか……としばし思いをはせました。「何でも祈り」というほど親しくは語ってはいない、しかし、ふっと神のふところに入っているようなホットしたというか、手放してしまったような思いのときもある。……えっ、それって眠っていたのではないか、ですって? う~ん、ここが難しいところです。ま、ともかく、神の方からは親しくしたいと戸をたたき続けてくださっているのですから、私の方も信頼を強くし、心を開けて「アッバ、父よ」と親しく語り合いたいと思います。


























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