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2007年4月22日 (日)

■「済州島4.3事件」記念講演会

 4月20日(金)の夜、日暮里の駅前にあるホテルのホールで行われた「済州島四・三事件 59周年記念“愛と平和への願いを込めて”」では、李政美(い ぢょんみ)さんのコンサートDsc048101_1 の前に、韓国から来日した李圭倍(イ キュベ)教授のお話がありました。また会場には、済州島の役所から2人の男性がいらしていました。

 李先生は、耽羅大学社会科学部の教授で、1985~1994年まで、早稲田大学に留学しており、政治学を専攻して博士号を取得なさいました。そのとき、日本で行われた「済州島4.3事件」の40周年記念行事に参加されました。当時、韓国は自由に行動できる時ではなかったので、この集会に参加することはとても大変だったそうです。

 「済州島4.3事件」について、李先生のお話からまとめてみました。ちょと長いですが、お読みください。

 「済州島4.3事件」とは
 第2次世界大戦後、日本の支配から解放されて、たくさんの人が日本から済州島に帰ってきました。6万人もの人が帰国したので、済州島は人口が増えて食料だけでなく日用品も品不足となり、生活が苦しくなりました。さらに麦の凶作が重なり、人々は飢えに苦しむようになりました。さらに、朝鮮半島の南半分を占領した米軍が、米穀収集令を発布して Saisyu43_2 島民から食料を搾取しました。“供出”できない者は拷問され、こうして米軍に対する島民の反発が強まっていきました。1947年3月、警察が襲われると勘違いした警察が、一般市民に向けて発砲し、6人が亡くなり、6人が重傷を負うというという事件が起きました。“3.1事件”と呼ばれるこの事件をきっかけにして、島全体を巻き込んだ官・民合同の大規模ストライキが起きました。そのころ朝鮮半島は、アメリカとソ連の介入の中で、統一国家となるか分断されるのかという問題で混乱していました。

 1948年5月に南朝鮮だけの単独選挙が行われようとしていましたが、その選挙は南北分断になるとして、分断に反対する民衆が武装蜂起しました。これに対して、米軍の指揮のもと、警備隊や警察、西北青年団などの治安部隊などによって、島民への殺戮が行われました。1948~54年までの6年間に25,000~30,000人が虐殺され、3,000人が行方不明となったされています。これが“済州島4.3事件”です。

事件、その後
 しかし、悲劇はこれだけで終わりませんでした。韓国政府は、この事件をタブーとし、なかったこととしてきたのです。1960年代に入ってはじまった民主化を求める動きの中で、1996年12月26日、「4.3特別法」が国会で制定され、やっと事件の究明が行われることになりました。その結果、大統領の謝罪、「4.3事件」を国の名において記念すること、「4.3平和記念公園」の設置、遺跡の整備、遺骸の発掘などが行われることになりました。済州島は、島全体が虐殺地、処刑地となっています。

 政府や軍、米国からの書類などを入手することができましたが、まだ全部ではありません。軍の責任者が証言していないからです。60年前、米国は済州島で何をしたのか……、これを明らかにすることはとても難しいことです。

次世代に歴史を伝えるために
 李教授は、「4.3研究所」の所長として活動されています。「4.3特別法」によって、事件は歴史から消えることはなくなりましたが、殺害された人々の名誉回復問題や、この悲劇をどうすれば若い世代に伝えていけるのかが、大きな課題となっています。「済州島では、この事件を知らない若者が出ています。教授は言います。「平和は輸入することはできません。自分たちで平和と人権を守ることができないと、次の世代に伝えることはできないんです。」

 「アウシュビッツのうそ」という言葉があるそうですが、李教授の目標は、ドイツの刑法130条のような法律ができることだそうです。それは、「アウシュビッツの虐殺はなかった」と言う人に刑が課せられるというものです。

 韓国での歴史に対する動きを聞きながら、日本でもこのような動きがすすめばいいと思いました。従軍慰安婦問題がそのいい例です。3月に安倍首相は「当初定義された強制性を裏付けるものはなかった」と言っていました。しかし昨日、日本政府として謝罪を表明し、「河野談話」を継承する考えを表明したのです。

 正しい歴史認識を深め、次の世代に大切な平和を伝えていかなくてはと思います。来年は40周年記念です。日本でも、大きな記念行事が行われることでしょう。済州島での記念行事には、李政美さんがツアーを組んで参加され、歌うことでしょう。

画像上:会場で販売された関連書籍
画像下:会場で配布された「済州島4.3事件」に対する記憶を呼び起こそうと刊行された書籍。(2006年 民主化運動記念事業会刊)

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コメント

 ミスリードもいいとこですね、何故そこで「河野談話」がでてくるのですか?「河野談話」は大東亜戦争時の話で、検証もされておらず河野洋平がスタンドプレーで行ったものです。
 済州島の4.3事件は韓国国内(朝鮮半島)だけの事件で日本人がどうこう言うのは、韓国、中国人が靖国参拝
について文句をいうのと同じ内政干渉ですし、同属同士の殺し合いですから、アメリカやソ連のせいでももちろん日本のせいでもございません。
2008年4月28日に「NHK教育」で放送された
「悲劇の島 チェジュ(済州)~「4・3事件」在日コリアンの記憶~」の中で、おばあさんが日本には「密入国」したとはっきり言っています。これは大変な問題で
在日朝鮮人・韓国人の出自をはっきりさせないといけません。
なぜなら、在日朝鮮・韓国人のほとんどが「日本へ強制連行された」から「住む権利と賠償を受ける権利」があると言っているわけですから、密入国者は対象外であり、「特別永住許可」は密入国者の子々孫々
まで、取り消されるべきことであるからです。
 それよりも、朝鮮半島の日本併合時の歴史を正しく検証することのほうが大切だと考えます。
 朝鮮は望んで、日本と併合され、併合前より人口は
朝鮮族のみでも2倍になり、平均寿命も延び、米の生産高は数倍に跳ね上がり国民生活自体が向上したのに
自ら朝鮮戦争ですべて焼け野原にしてしまったのですから。

投稿 | 2008年4月30日 (水) 08時04分

昨日のETVで、4.3事件をやっていました。
初めて知った事なのでPCで調べている所でした。
本当に知らない事だらけで恥ずかしいです。
足元が、シッカリ立てるにも知る事が大事な事です。
如何生きて、健康な市民となるか?
有難うございました。私は1947年4月3日生まれ。
知ってないといけない気がします。4.3事件。

投稿 ひろせかずこ | 2008年4月28日 (月) 07時27分

こんな事件があったのですね。
どちらにもいい分があるとは思いますが、被害者が現にいるという事が、総てを物語っているということです。

こうした政治的発言には、いつも勇気がいりますね。
でも、黙っていては分かりません。
私も勇気を貰いました。

ニュースで見たのですが、電車内で、性暴力的なことを黙って見過ごすというこの社会が、いったいどうなっていくのか、怖いのです。

勇気を持ちたいと思います。

投稿 里子 | 2007年4月23日 (月) 14時45分

歴史と向かい合うというのは痛みを伴う作業だと思います。
けれどそれをしなければ新しい関係を築くことができないとも考えます。
日本は過去の歴史が忘れられるのを待っているようかに見えます。
ですが、歴史を決して忘れられない人たちがいることを、私たちは忘れてはならないと自分を戒めています。
それでも正しい歴史認識を深めるというのは本当に難しく、骨の折れる作業ですね。

投稿 hanne | 2007年4月23日 (月) 08時09分

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