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2007年2月27日 (火)

■俳優座で「9条の集い」

 日曜日にリハーサルをした「9条の会」ですが、昨日の夜、六本木の俳優座で行われました。すでにチケットは完売。「平和憲法を守ろう!」という平和を求める人々が結集し、300人余の会場は、いっぱいになりました。
 女子パウロ会のシスターも、会場が近くですので20人ほどが参加しました。今回の主催は、「みなと9条の会」と「俳優座9条の会」の合同企画です。「みなと9条の会」は、すでに3回ほど集いを開催していますが、「俳優座9条の会」は、2005年に結成されてから初めての集いになるそうです。メンバーは130人だとか、「劇団俳優座」って大きな劇団なのですね。
 プログラムには、合唱、辻井喬氏の講演会、「みなと・9条の会」会長のジェームス・三木氏のあいさつなどがありました。中でも俳優座らしいなと思ったのが「読むエッセイ」、「朗読」、群読」です。
 
 朗読は、ベテランの岩崎加根子さんによって小川未明原作「野ばら」が読まれました。岩崎さんの他に、俳優座の俳優さん2人が登場されました。岩崎さんは語りを担当され、年輩の兵士と若い兵士が警備する国境の風景や、2人の様子が目に浮かぶように感情豊かに読まれました。年輩の兵士は小笠原良知氏、若い兵士は松崎賢吾氏でした。小笠原氏は、テレビの時代劇などでよくお見受けする方で、年輩兵士の人を包み込むような優しさが醸し出されていました。松崎賢吾氏は、聡明そうなスラリとした青年で、若い兵士の純粋さがよく表れていました。
 
 群読「日本国憲法」は、実際の読みに入る前に、孫娘とおじいちゃんの語らいがありました。亡くなったおじいちゃんに会うために、おじいちゃんが働いていた炭焼き小屋にやってきた孫娘の前におじいちゃんが現れ、生前、彼女に伝えたかったことを語るという設定でした。学校の先生だったおじいちゃんは、戦地・中国で行った残忍な行為について罪の意識をぬぐうことができず苦しんでいました。そのことから戦争はぜったいおこなってはいけないと若い孫娘に伝えたかったのです。そこから、日本国憲法の群読へとつながっていきました。

 「読むエッセイ」として、ご自分のエッセイを読まれた加藤剛氏は、木下恵介監督について語られました。俳優座の方々は、「演じる」ということで、伝えたいメッセージを広く人々に伝えることができます。具体的でいい手段をもっているんだなぁ……と思いました。

 これからも、俳優座ならではの企画で、平和を求める「9条の集い」を開催していただきたいと思います。

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2007年2月25日 (日)

■群読「日本国憲法」・・・レッスン

 大江健三郎氏、澤地久枝氏、加藤周一氏、井上ひさし氏ら9人の発起人が立ち上げた「9条の会」が全国展開して、各地域、職場などで「9条の会」が立ち上がっています。港区にも、「みなと・9条の会」というのがありますが、俳優座の中にも「俳優座9条の会」というのがあるそうです。

  Dsc042841_1  この2つの「9条の会」の合同企画で、明日2月26日(月)の夜、六本木の俳優座劇場を会場にして、「群読 日本国憲法」と辻井喬氏の講演会「憲法の不思議」が行われます。その他、岩崎加根子さんの小川未明・作「野ばら」の朗読、合唱などが行われます。司会は俳優の加藤剛氏。群読と合唱は、俳優座の俳優さんたちに加えて一般の人も参加できるようになっています。
 
 「群読」は、大勢で日本国憲法を読んでいくものですが、ただ声をあわせて読むのではありません。内容がよりよく伝わるようにと、ここは一人ひとりが、ここは全員で、ここは数人が……とシナリオがあり、演出家の先生によって稽古がつけられていきます。演出は、内田透氏です。すでに何回かレッスンが行われたのですが、今日の午後、最終レッスンが俳優座5階の稽古場で行われたので、ちょっとのぞいて来ました。

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    合唱のリハーサル                       群読のリハーサル

 稽古場に着いた2時ごろは、合唱のグループが、イマジンを練習していました。最後の練習は、群読に参加している人々との合同練習で、その後、群読のレッスンが行われました。若い人から高齢の方まで年齢はさまざまで、男女の数も半々という感じです。下手からステージ中央に出るタイミングや、舞台での立ち位置、途中で前列と後列の入れ替えがあるので、その練習などが行われていました。俳優座の俳優さんたちは、さすが、腹からでる大きな声で迫力があります。女子パウロ会のシスターも参加しているのですが、大丈夫かな??? 

 「憲法を守ろう!」という同じ思いで、大勢の人が集まってきます。どんな仕上がりになっているのか、明日のステージが楽しみです。

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2007年2月23日 (金)

■たのもしい助っ人

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 以前にもブログ“シスターのつぶやき”でご紹介しましたが、毎年2月と8月に女子パウロ会の出版物を、トーハン、日販、大阪屋などの取次会社をとおして一般書店の書棚にならべていただくために、“長期委託”を行っています。
 この長期委託は、25点の書籍を1つの段ボールにつめて送ります。
 この作業が結構大変です。まず25冊の本をセットして、それを傷がつかないように包み、各取次会社指定の段ボール箱に箱詰めします。この箱も、みんな同じ形に仕上げなくてはいけません。
 毎回、本を抱えてセットするだけで、手が痛くなってしまい、箱詰め前にクタクタになってしまっていました。
Suketo03_2   ところが、今年は強力な助っ人が現れました。10年以上、私たちと宣教活動を共にしてくださっている男性の方が、シスターたちが大変だから・・・とすごいものを作ってくださいました。
 本をセットするとき、本を手に抱えなくてすむように、テーブルの上にを本をのせて転がるようにキャスターがついた小さな台車。おまけに、右と左に本を置き、2セット一緒にセットすることができます。本を間違わないように本の前に、連番がついています。セットされるとき、真ん中にある板と同じ高さになれば、本がちゃんとセットされていることがわかるというすぐれものです。
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 さらに、この台車がすべって、テーブルから落ちたりすることがないように、テーブルの端に、すべり止めのコードがセットされていました。
 たのもしい助っ人のおかげで、いつもなら3日かかる長期委託セットが2日で終了したそうです。たくさんの方たちに助けられて宣教を続けられることに、心から感謝しました。

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2007年2月21日 (水)

■ドキュメンタリー映画「URINARA 祖国」を見て

 先週の土曜日、真生会館で「URINARA 祖国」の上映と、監督と、映画の主人公である監督の息子さんのお話を聞く集いがありました。
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 監督の名は、河真鮮(ハ・スンソン)さん(映画監督)。河さんのご主人は、北朝鮮との非 武装地帯38度線勤務の将校でしたが、離婚し、河さんは、二人の子ども、姉と安裕祥(アン・ユウサン)さんを連れて、7年前に日本にやってきました。安さんは、当時小学生でした。ご存じのように、韓国には徴兵制度があり、男性は19歳になると2年間の兵役義務が課せられます。普通の小学校に通って日本人の中で育ってきた安さんに対して、河さんは、兵役義務があることをなかなか告げることができませんでした。
 
 外国にいる韓国人で兵役対象者はおよそ11万人、その内兵役に就く人は少ないそうです。韓国にいる男性は、30歳までに兵役に就くことが義務とされていますが、海外に住む人は、35歳までに兵役に就くかどうかを決めればいいのだそうです。35歳を過ぎれば、兵役に就く義務はなくなります。日本にいながら、韓国の兵役につかなくてはいけない……、河さんは、映画を作るというつもりではなく、この問題を受け止めていく過程をカメラに残しておきたいという気持ちでフィルムをまわしました。それが、「URINARA 祖国」という映画になったのです。
 
 韓国の人は、祖国を「URINARA」と呼びます。映画には、安さんを、小さいときか支え、ともに過ごしてきたカトリック豊田教会の信徒の方々や青年たち、小学校時代の先生、安さんの同級生たちが出てきます。安さんは、兵役の歳を前にした夏、韓国に渡り、韓国の友達と過ごしながら兵役について考えました。そして、4泊5日の海兵隊の訓練に参加しました。この体験ツアーには、男女、年齢の区別なく参加することができる制度です。安さんは、「訓練は辛かったけれど、友達ができたことはうれしかった」と語っています。映画では、兵役義務をどうするか結論は出ていませんが、土曜日の集いの会場で、「明日、兵役につくため、韓国に向けて出発します!」と語りました。
 
Dsc042711  上映の後、映画を見た人たちからいろいろな質問が出ました。兵役について、どう思うか。海外にいる人は兵役につかなくてもいいのに、なぜあえて行くことにしたのか。軍隊に入り戦争になれば人を殺すことになるかもしれないが、信仰を持っている人が、軍隊でどう生きるのか。日本の友達は、安さんの兵役についてどう思っているのか。日本と韓国が戦ったらどうするのか。何のために戦うのか、内のための軍隊か。……などなど、深く鋭い質問が出ました。河さんも安さんも、たくさんの質問に対して、ご自分の考えや気持ちをていねいに語ってくれました。
 
 日本に来て、けっしてらくではなかった生活を思い出しながら、河さんは「息子に兵役を選ばせたのは、日本の社会の環境もあると思う。この子は、うまく行けば2つの国のかけはしになれるが、うまく行かなければどちらかの国を失う。『URINARA 祖国』では、母親の立場は描いていなかった。子どもがいなくなって、帰りを待っている母親の視点も入れて、次の作品を作っていきたい」と語ってくれました。
 
 質問をとおして、映画だけでは分からなかったお二人の気持ちを、少しは知ることができました。映画とお二人の真摯な姿から、いろいろなことを考えさせられた集いでした。次回作を期待して、安さんの帰りを待っています。

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2007年2月19日 (月)

■イギリスのヘンリー王子を思う

 17日の新聞に、「イギリスのヘンリー王子が、今月末に陸軍士官としてイラクに派遣されると英紙デーリー・ミラーが報じた」とありました。英国防省によれば、「まだ決定しているわけではなく、報道は憶測だ」ということだそうですが、以前NHKの海外ニュースでも王子が陸軍士官学校を卒業した際に、同じ可能性を報じていたように思います。王子は「当初から特別扱いを拒否してイラクやアフガニスタンなど紛争地への派遣を希望している」ということです。「特別扱いを拒否して」というところを読みながら、なんとなくジーンとしてしまいました。日本の皇室もそうですが、イギリスの王室も王位継承者の一人という特別な教育と環境の中で育っていて、庶民とは違う大変さを思います。

 今年のゴールデンウィークに、映画「クィーン The QUEEN」が公開になります。1997年8月31日の故ダイアナ元妃が交通事故から、ストーリーは始まります。女王は、人里はなれた城で、夫のエジンバラ公、チャールズ皇太子と二人の息子ウィリアム王子とヘンリー王子の一家で過ごしていました。ダイアナ元妃の死に対して、王室としてどのように対処するかが問われるところですが、女王は一般人なのだからと王室としてはかかわらず、実家の意見を尊重して葬儀は内輪ですませるようすすめます。そのとき、まだ思春期だった二人の皇子に対して、女王は、彼らに悲しい思いにひたらせないようにと子どもたちのことを思い、毎日狩りに連れ出します。映画では、二人の王子たちの姿は、スクリーンの遠くに映っているという感じですが、映画を見ながら、なぜ、自分の母親の死を時を与えてしっかりと受け止めるようにさせないのかしら……と思いました。悲しいときは悲しむことが必要だと思います。両親の離婚、そして母親との別離、なにかとうわさになる父親と母親、小さな王子たちにも感じることはあったでしょう。さらに、永遠の別れとなったときに、自分の母親の死を悲しく辛くとも直面することすらゆるされない環境こそ、悲しいな……などと、勝手にいろいろと想像していました。
 
 偶然ですが、ある人からの紹介で、ダイアナ元妃の葬儀の模様を収めたCD「DIANA」の存在を知りました。なぜか心をひかれ、毎日聴いています。ダイアナ元妃の葬儀は、国民の感情や世界の反応を見て、王室のためにもと考えたブレア首相の進言で、結局は国葬となります。葬儀の中で、ダイアナ元妃の弟のスペンサー伯は、長い追悼の中で次のように言っています。
 「……私はダイアナに代わって二人を守ることをここに誓います。いつもあなたを涙と絶望に追いやっていた苦悩に二人が苛まれることを私は許しません。……私の家族は、あなたが二人の特別な男児を導いてきた想像力と愛情に溢れるやり方を引き継ぐことを約束します。二人の心が、義務や伝統のみにとらわれることなく、あなたが望んだように自由にはばたけるよう、彼らを導きたいと思います。」
 
 ヘンリー王子が「特別扱いを拒否」ということから、若い王子を思った一日でした。

 余談ですが、エリザベス女王を演じたヘレン・ミレンは、この役でみごとゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ)を受賞し、アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされています。 
 ●映画「クィーン The QUEEN」公式サイト:
http://queen-movie.jp/

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2007年2月17日 (土)

■ローマから…総本部の坂道

   ローマにある総本部は、修道院の門をはいって坂道を上っていった上にその建物があります。門の脇にCASA SAN PAOROと行って、40人ほどの宿舎と会議室、食堂を備えた建物があり、さらに坂道をのぼると、一年間のカリスマコースを行っているシスターたちの家CASA ALBERIONEがあり、そして総本部があります。途中にルルドや、散策できる小道、また小さな果樹園があります。ここは総本部として総統治がいる建物でもあり、世界各地からやってくる姉妹たちが集まる場所でもあります。

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   総本部の玄関前

 今年は、例年になく暖かいということで、坂道にあるミモザの花が一月から咲き始めていました。きれいな黄色が輝いています。
 
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 坂道のあちらこちらに色とりどりの季節の花がきれいに植えられていて、訪れる者の心を和ませてくれます。シスターたちの暖かい心遣いを感じる坂道です。

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2007年2月15日 (木)

■ローマから…日本に来たイタリア人の宣教女たち(2)

 9日のブログで、かつて日本の女子パウロ会の創立を担ったイタリア人の宣教女たちをご紹介しましたが、昨日、もう一人のシスターを訪問しましたのでご紹介します。
 
 ローマ郊外にあるイタリア管区の管区長館に住んでいるSr.アグネス・レトです。日本で24年間、宣教にあたりました。他の宣教女たちに負けず、お元気でした。今も、力強い日本語で話していました。
 日本では、日本の若いシスターたちの養成にあたり、たくさんのシスターを育てました。今年の毎日の福音のか所が書かれている小さな冊子を「ここね、小さなスペースだけれど、福音の中からひと言書くといいわよ。毎日ね、ひと言とでいいの」と、ページを指さして説明し、今も霊的に成長するようにというシスターたちへの思いは変わらないようです。

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 お部屋には、日本からのカレンダーがきれいだったからと、昨年のカレンダーを切り取って飾ってありました。和服姿のスターは黒木瞳さんでした。美人は、どこに行っても美しいのですね。また日本語の壁飾りも、大切に飾ってありました。今も心は日本にあり、日本のために祈っているそうです。

 昼食を一緒にするため、食堂に行くと、一人ひとりの食卓の上に、深紅の薔薇と有名なペルージャのチョコレートが置いてありました。「わ~。きれい! 今日は、何ですか? お祝い?」と尋ねると、「セント・バレンタインデーだからよ」ということでした。日本では、女性から男性への愛をチョコレートに込めて告白する日となっていますが、こちらでは、男女関係なく愛を表現する日だそうです。家族の中でもするとか。でも、若い人たちはハート型のチョコレートを贈ったりするそうです。食卓で全員が、愛の交わりを祝うことができて、ステキですね。なんだかとてもふんわりとうれしくなりました。

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 帰りは、管区長館のシスターが車で送ってくれたのですが、Sr.アグネス・レトも一緒に乗って宿舎まで送ってくれました。ちょうど、Sr.ローザが車で帰ってきたところで、「おお、日本への宣教女たち!」ということで、ツーショットをパチリ!

 Sr.アグネス・レト、Sr.ローザ、これからも日本の女子パウロ会の働きのために祈ってくださいね。お元気で!

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2007年2月13日 (火)

■ローマから…創立者の部屋

 アントニーノピオで行われたSr.テクラ・メルロのミサに行ったとき、聖パウロ修道会にある創立者の部屋を訪れました。
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 大理石が敷き詰められた(イタリアの建物は、どこでもそうですが)階段を上っていきまし た。途中には、大きな師イエスの絵がありました。修道会の偉人たちや、歴代の総長の肖像画が並んでいる廊下の右側に、創立者の部屋がありました。
 
 写真やカードで見ている創立者が執務を行っている事務所や、最期がちかずいたとき、時の教皇パウロ6世がお見舞いに来てくださったときの写真を思い出しながら、創立者の寝室に入りました。                                   
 
 創立者が身につけていた修道服や祭服も展示されていました。想像以上に小柄な人でした。

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      執務室にある祭壇             最期を迎えた寝室
 
 創立者が使っていた机や、最後の日々にミサをたてた祭壇などは、プラスチックで覆われていて、ちょっと残念でしたが、寝室にある机のイスに座ることができました。大きな机の3方には低い棚が設けられており、本がすぐ手に取れる状態になっています。なかなか機能的な造りでした。

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       机で読書する創立者の写真             創立者の机

 新しく始まった修道会を、どんな思いで導いていたのでしょう。よく書物を読み、よく祈った創立者です。ここから大勢の聖パウロ修道会会員、女子パウロ会会員、師イエズス修道女会会員、他のパウロ家族の修道会の会員が、全世界に向けて旅だっていきました。どんな未来のパウロ家族の発展を描いていたのでしょう。
 
 創立者というのは、どの修道会の創立者も、創立の特別の賜物をいただいているので、その点からはどんなことを描いていたのか思いがおよびませんが、創立者の社会や人々を思う心は、後に続くわたしたちにも続いていく心です。そんな創立者の思いを、修道会の遺伝子として自分に中で豊かにしていくことができるよう願いながら、思いを込めてイスや机に触れてきました。

創立者ヤコボ・アルベリオーネ神父については、“Laudate”の「新世紀 ルーツへの巡礼」でその歴史をご覧ください。

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2007年2月11日 (日)

■ローマから…Sr.テクラ・メルロのミサ

   前回ご紹介したSr.イレネ・コンティがいるアントニーノピオには、聖パウロ修道会と聖パウロ女子修道会、師イエズス修道女会がありますが、それぞれの建物の間に、使徒の女王大聖堂があります。使徒の女王大聖堂は大きく3層になっていて、一番上が教区の聖堂になっている使徒の女王の聖堂、その下にクリプタ(地下聖堂)、一番下がソットクリプタ(地下聖堂の下)と呼ばれる、創立者と初代総長のSr.テクラ・メルロのお墓のある聖堂があります。

 2月5日は、Sr.テクラ・メルロの命日(1964年帰天)でした。この日は、会議を早めに終えて、バスでアントニーノピオで行われるSr.テクラ・メルロのミサに参加しました。

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 聖パウロ女子修道会側から見た使徒の女王大聖堂        ソットクリプタ

 到着すると、まず聖パウロ修道会の建物にある、創立者の部屋を見学しました。(この様子については、次回ご紹介します。)その後、Sr.テクラ・メルロと創立者のお墓があるソットクリプタに行き、お墓参りの祈りをしました。お墓は、ソットクリプタの祭壇の両側にあります。祭壇には聖体が顕示され、師イエズス修道女会のシスターが祈っていました。ミサに来た人はみな、お墓を訪れて二人にあいさつし、ここで祈っていました。

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   Sr.テクラ・メルロのお墓                    ミサ式次第

 ミサが行われるソットクリプタは、円形の天蓋を持った祭壇が中央にあり、円形を中心に十字架の形をした会衆席があります。とても広くて、カメラにおさまり切れませんでした。ミサが始まる時間になると、アントニーノピオにある修道院や、少し離れたところある管区長館などから、パウロ家族のメンバーや信徒の方々が集まってきました。パウロ家族がそろっているということもあって、共同司式をする司祭の数も多くてびっくりです。「さすが、ローマ!」という感じです。
 
 この聖堂で、創立者がミサをささげ、Sr.テクラ・メルロが祈っていたのかと思うと、なんともいえない感動がわいてきました。Sr.テクラ・メルロに、日本管区と、修道会全体の歩みをゆだねて祈りました。

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     入堂する司祭たち                       司教によるミサ

 天蓋や祭壇の周囲の床にあるたくさんのモザイクの絵があります。帰りのバスの時間があったので、ゆっくりとみることができませんでしたが、もしまた来るときがあれば、3つの聖堂をもっとじっくりと見て、多くの先輩たちが祈りをささげ、世界各国への宣教へと旅だっていったこの聖堂で、彼らの思いを感じながら祈りのときを過ごしたいと思いました。

使徒の女王大聖堂の建築のいきさつや、内部の様子は、“Laudate”の「新世紀 ルーツへの巡礼」でご覧ください。

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2007年2月 9日 (金)

■ローマから…日本に来たイタリア人の宣教女たち

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 2/1~13日まで、ローマの総本院にある聖パウロの家で開かれている、コミュニケーション会議に参加しています。これから数回、ローマからのブログです。今回は、かつて日本 で働いていた宣教女たちをご紹介しましょう。
 
 ローマの総本院は、ローマのサン・ピエトロからバスで20分くらいの郊外にあります。全世界の女子パウロ会の中心として、総長と総長を助ける顧問たちや、使徒職、養成、霊性などのための秘書局があります。

 この総本院にいるSr.ローザ、Sr.エンリカ、Sr.リディアは、若いころ遠い日本にやってきて、日本の女子パウロ会の創立のために一生懸命働いて土台作りをしてくれました。70代になった今も、元気に使徒職をしています。日本を離れてもう十何年にもなるのに、日本語がすぐ出てきます。「愛する日本のために、いつも祈っています」と、手を握りながら、日本が懐かしい……という感じで話してくださいました。
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 さらに、総本院から車で30分ほどのところのアントニーノピオにある修道院に、日本に最初に派遣された4人の宣教女の中の一人、Sr.イレネ・コンティがいます。初代の日本管区長として、宣教の種を蒔き、たくさんのシスターを育てました。92歳になるそうですが、その小さな身体のどこに、これほどの宣教のエネルギーがあるのでしょう。今もニコニコとして、しっかりした足取りで、広い修道院の中を紹介してくれました。
 ここには、もう一人、日本で働いていたシスターがいます。Sr.アウグスタです。少し身体が弱くなったので病室で過ごしていますが、日本のシスターたちの写真を見て、うれしそうでした。
 
 戦後すぐ、遠い東洋の国に派遣され、日本語もわからない状態での生活は、さぞ大変だったことでしょう。彼女たちの宣教熱と祈りに支えられて、今の私たちがあります。彼女たちの日本を思う熱意をしっかりと胸に抱き、日本の地に蒔いてくれたたくさんの種を、これからも大切に育てていきたいと思いました。
 
 日本の初期の様子は、webサイト“Laudate”の「新世紀 ルーツへの巡礼」をご覧ください。    *パウロの娘、日本へ(1)

※画像=右上:総本院、中左:Sr.ローザ、中右:Sr.エンリカ、下:Sr.アウグスタ(左)とSr.イレネ・コンティ

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2007年2月 7日 (水)

■九州横断特急

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 2004年3月、熊本、鹿児島館に九州新幹線「つばめ」の開業したときの、在来線の変革で、特急「あそ」および急行「くまがわ」を統合する形で誕生した「九州横断特急」に乗りました。
 「九州横断特急」は、別府-大分-阿蘇-熊本-八代-人吉間を走行するキハ185系気動車です。指定車と自由車が一両ずつの2両編成の赤い車両で、女性の客室乗務員が乗っていますが、車掌が乗っていない「ワンマン運転」です。
 「森をイメージ」したと言うことですが、モスグリーンの座席に、荷物棚や肘掛け、テーブルなど、室内に「木」がたくさん使われていて、落ち着いた感じのする室内、運転席の横にデッキがもうけられ、景色をゆっくりと味わうことができます。
 しかし、この日は晴れていたのですが、靄(もや)がかかっていたため、残念ながら雄大な阿蘇の姿を見ることはできませんでした。
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 途中、客室乗務員の方が、「乗車記念スタンプカード」を希望者に配ってくれました。そのカードには、「九州横断特急」の他に、「いさぶろう・しんぺい」号、「特急はやとの風」のスタンプを押す場所がもうけられています。「九州横断特急」のスタンプを押すと、どうしても他の2つもと思ってしまいます。このカードを大切にとっておかなくては・・・。このカードの裏には、路線図や名所の絵も入っており、なかなかしゃれたプレゼントだなと思いました。
 途中、立野では、ほんのちょっとの間ですが、先頭車両が入れ替わるスイッチバックを体験できます。急勾配を登ったり、降りたりする際に折り返して運転されるのです。特急ですが、なにかゆっくりした感覚になりました。
 車体につけられた、ロゴマークもなかなかおしゃれで、別府から水前寺駅まで、3時間ちょっとの旅でしたが、のどかな旅を楽しむことができました。

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2007年2月 5日 (月)

■国見ふるさと展示館

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 列福を控えたペトロ・カスイ岐部神父のふるさと大分県国見町岐部を訪ねました。
 国道213号線沿いにある「ペトロカスイ岐部記念公園」には、海の方に向かって立つカスイ岐部神父の、勇ましい銅像があり、「世界を歩いた神父」の深く強い信仰を思い起こさせました。
 そして、その公園の隣には、国見町の「国見ふるさと展示館」がありました。この展示館は、明治初期に築造された庄屋屋敷を保存し利用したものでした。一番の庄屋屋敷だったとあって、とても大きな屋敷と、美しい日本庭園がある風情のある展示館です。
 入って最初の部屋は、カスイ岐部神父に関する資料が展示されていました。神父が歩いた道や年表はもちろんのこと、祭具なども展示されていました。

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 また、入るとすぐに係の方が、カスイ岐部神父を紹介した映像を流してくださいました。郷土の歴史研究家の方が、とてもわかりやすく説明してくさっていて、カトリックをあまり知らない方でも、カスイ岐部神父の偉大さを知ることができるのではないかと思いました。
 他の部屋には、民俗文化コーナー、国見出身の画家たちの描いた絵画などが展示されていました。入場料は200円と高くありませんから、「ペトロ・カスイ岐部記念公園」に巡礼なさった際には、お勧めの展示館です。
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 訪れた日は、とても寒かったのですが、展示館の向かい側にある食堂とお土産物の店の前で写真を撮っていると、中から「入ってお茶でも飲んで行ってください」と声をかけられました。食事をする予定もなかったので、断ったのですが、「寒いからせめて暖まって」と勧められて中に入ると、温かな席に、熱いお茶を準備してくださいました。素朴な店の中では、近所のご婦人たちが料理の下ごしらえ中でした。ここでは、名物タコカレーに、手打ちうどん、赤米だいふくや城山まんじゅうなどがいただけるようです。お茶をごちそうしていただいたからではありませんが、時間があればぜひこちらにもお寄りください。

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2007年2月 3日 (土)

■臼杵の石仏

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 「臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)」とも言いますが、自然の岩壁や露岩などに、60余体の仏像を彫り造ったものです。
 臼杵の石仏は、阿蘇溶結凝灰岩という軟質の石に彫られているため、風化しやすく、長い年月の間に亀裂を生じたり、剥落するなど傷みがひどくなっていたため、1980年から1994年まで14年間にわたり、保存修理工事が行われたそうです。
 以前ここを訪れたとき、最も有名な「大日如来像」の仏頭が落ち、その像の前に頭部が置かれていたのですが、今回は、その仏頭は修復されていました。また、どの石仏にも、雨の浸食から守るためのりっぱな屋根がもうけられていました。
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 私たちが訪ねたときはあいにくの雨。しかし、この屋根のおかげで、ゆっくりと石仏を見学することができました。今年は温かいせいか、参道には菜の花が咲いていました。
 宗教は違っても千年の風雨に耐え、人びとのひたむきな信仰のあかしを今に伝える石仏を見ていると、腹の底から動かされるような重みと感動を覚えました。
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2007年2月 1日 (木)

■武家屋敷跡

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 九州の小京都とも呼ばれる竹田市。中川氏の居城・岡城の裾に、今も土塀が続く町並みが残っています。
 かつて中級武士たちが住んでいた殿町は、現在も武家屋敷があり、「竹田創世館」という休憩所と案内所を兼ねた屋敷があります。私たちが訪れたとき、ちょうど閉まるところで、残念ながら中に入ることはできませんでした。
 この近くには、江戸時代の文人画家、田能村竹田の居宅「旧竹田荘」や、瀧廉太郎が、12歳から14歳までの2年4か月ほどを過ごした「瀧廉太郎記念館」、絵画展や写真展などを行うギャラリー「竹田市民ギャラリー水琴館」などがありました。
 この武家屋敷を通りぬけると岡城の崖の下には、キリシタン洞窟礼拝堂があります。そこには、神父たちが使った旧井戸や住居址の洞窟が残っています。武家屋敷のすぐ近くにキリシタンの遺跡があることを考えると、中川氏の家臣の中にも、信徒がいたのではないかと想像してしまいました。
 武家屋敷は「歴史の道」と名付けられ、故郷の歴史を大切に守りながら、生きている竹田の人たちの思いを感じました。
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