2009年7月 8日 (水)

■ チェレスティーノ神父の写真展

Photo01_3 東京教区本部事務局長のチェレスティーノ・ガヴァニャ神父は、ご自分のホームページでも写真を紹介しておられるように、趣味として写真撮影を楽しんでおられます。
花や風景などの自然やふるさとイタリアの風景など、とても素人とは思えない腕前です。
今、東京カテドラルのスペース・セントポール横にあるスペースで、「チェレスティーノ神父の写真展」が開かれています。これは、単に写真を見ていただくという目的ではなく、新しい「司祭の家」の建設支援のための写真展です。
Photo02_2 ご存じのように、カトリック司祭は、生涯を教会のためにささげ、自分の住まいは持っていません。そこで、老朽化した教区本部の建物を、高齢の司祭たちが住むことができる家に建てかえる工事が今年8月からはじまります。その支援のために、チェレスティーノ神父が写真展を行っておられるのです。展示された写真のはがきサイズもあります。
カテドラルをお尋ねになった際は、ぜひ写真展をご覧ください。

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2009年7月 5日 (日)

■ お菓子「ペトロ岐部」

Kibe 「キリシタンゆかりの地をたずねて」の取材で、大分を訪ねました。7月1日は、はじめてのペトロ岐部と187人の殉教者の記念日でしたが、大分で、「ペトロ岐部」というお菓子を見つけました。
大分には、「ざびえる」や「ドン・フランシスコ」といったお菓子があることは知っていましたが、福者「ペトロ岐部」というお菓子があることは知りませんでした。
さっそく、買って試食。「ペトロ岐部」は、栗が入った白あんのおいしい饅頭でした。
ホームページで調べてみると、「豊後・大分が生んだ偉人の功績を称える南蛮銘菓です」との宣伝文句がありました。福者がお菓子・・・という思いもありますが、こんな形ででも、ペトロ岐部が多くの人たちに知られることは、うれしいことです。

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2009年7月 2日 (木)

■「ペトロ岐部と187殉教者」記念日の祈りの集い

昨年11月24日、長崎において「ペトロ岐部と187殉教者」が列福され、教会は7月1日を「記念日」と定めました。この日は特に殉教者たちを思い起こし、彼らの取り次ぎを求めて祈る日です。

乃木坂の修道院では、7月1日の午後6時から女子パウロ会のオンラインショッピング“Shop Pauline”とWebサイト“Laudate”の主催で、「江戸の殉教者、ペトロ岐部と原主水のお話と祈りの集い」を行いました。

女子パウロ会のシスターが、プロジェクターを使って、2人にゆかりのある場所の画像を写しながら、彼らの生涯を話しました。司祭を志してローマまで行き、同胞のために迫害の嵐の吹く日本に帰り、いのちをささげたペトロ岐部、そして迫害の中で信仰を燃え立たせて、最後に殉教した原主水。話の中で、司祭として、また信徒として、神からの呼びかけに応えた2人の生き方をふり返り、困難のさなかにあっても、イエスに従っていく信仰をわたしたちもいただけるよう、参加者に呼びかけ、殉教者の取り次ぎを求めて共に祈りをささげました。

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カトリックの信徒の方だけではなく、洗礼を受けておられない方も参加してくださり、祈りの後、お茶をいただきながら、いろいろお話をうかがうことができました。

次回は秋にマザー・テレサに関する集いを企画しております。ぜひ、ご参加ください。

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2009年6月29日 (月)

■「パウロ年」閉年ミサ

6月28日(日)に行われた長崎教区のカトリック浦上教会の「パウロ年」の閉年ミサに続き、今日、東京教区・カトリック関口教会でも閉年ミサが行われました。

聖ペトロ・聖パウロ使徒の祭日を迎えたこの日、叙階50周年、25周年を迎える司祭たちのお祝い、また、聖ペトロの名をいただく岡田大司教、白柳枢機卿、聖パウロの名の森司教、また、昨年長崎で列福された「福者ペトロ岐部司祭と187殉教者」の初めての記念日が祝われる7月1日をあさってにひかえて……とお祝いが重なり、補助イスを並べた聖マリア大聖堂には、800人あまりの人々が集まりました。殉教者を記念する赤いストラを身につけた司祭たちの入堂の列は長く、「宣べ伝えようパウロのように」という「パウロ年」のために作曲された歌をうたいながら、共に祝う喜びが次第に大きくなっていきました。

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Dsc_0139 ミサの準備や奉仕は、パウロ家族が当たりました。また、聖堂入り口では、サンパウロ、師イエズス修道女会、女子パウロ会が、それぞれテーブルを出して展示即売を行いました。

幸田司教は説教の中で、パウロは、イエスが語ったことばから、自分が迫害しているキリスト者はイエス自身だということを知り、さらに、自分が立ち会ったステファノの殉教が、イエスの姿の生き写しであったことから、自分が追い求めていた生き方は、律法の中にではなくキリスト者の生き方の中にあると分かったのではないか……と語られました。人々は、今の時代の中で、何を求めているのか。人と人とのつながりを求めている。信頼という神とのつながり、人と人とのつながりを大切にして生きていくことが、心の深いところで求められていると結ばれました。

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叙階25周年を迎えた司祭たち                   あいさつする幸田司教

ミサの終わりには、岡田大司教と祭壇を囲んだ、叙階25周年を迎える司祭、50周年を迎える司祭が紹介されました。大司教、補佐司教、枢機卿、バチカン大使参事官そして大勢の司祭たちを迎え、とてもなごやかな雰囲気のお祝いと閉年のミサとなりました。

パウロ年はこれで終わりか……とちょっと寂しい気もしますが、いえいえそうではないでしょう。この一年を出発として、ますますパウロと親しくなり、パウロから教わりなさい、ということだと思います。

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